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2007.08.01

黒井千次■ 老いるということ

20070801kuroioiru

少年期・少女期の初恋や性の目覚めともなる幼い行為の体験に始り、思春期から男盛り女盛りを迎えて成熟した果実の味わいを知り老いの入口に辿り着くまで、人はその時々に性の歓びや苦しみに出会います。

そして老いの門をくぐった時、では人はその歓喜や苦悩に別れを告げて枯れた庭のような静謐の場に足を踏み入れるのでしょうか。老年は快楽やその悪徳から人を自然に遠ざけてくれるものなのか。〔…〕

ここでは老いが自動的に性の安全装置となるかのような大雑把で安易な考え方を排除せねばならぬことを銘記すべきでしょう。

『変容』に描かれた老境にさしかかる男女の関りは、それまでのより若い時期の結びつきに比して経験の奥行きを持ち、過ぎた時間の豊さを湛え、生涯の展望に立つ生命の営みを表現するものとして、忘れることが出来ません。

それもまた、老いるということの内容の一つであり、歳月の貴重な結実でもあると同時に、老いの途上でぶつかる厄介な課題の一つなのだ、と心の準備だけはしておいた方がいいかもしれません。

――第12章 老いと性――伊藤整『変容』の問題提起

■ 老いるということ|黒井千次|講談社|2006 11月|新書|ISBN9784061498655

★★★★

《キャッチ・コピー》

老いによって拓かれるより深い領域の可能性。

人間にとって老いとは何か、そして老いとどのように向き合うべきなのか。文芸・映画・演劇等を題材に、人生の機微を知り尽くした著者が綴る「老いる」ことの意味。

memo

「これまで、枯淡と呼ばれるような状態が成立しにくくなったのは、老いの形、理想の老年の像が崩れて身を寄せるべき場の失われたことがその原因ではないか、と考えて来たのですが、あるいは、老いの器とも呼ぶべき枯淡の場とは本来一つの虚構ではなかったか、との疑念が頭を提げて来るのを覚えます。」(同書)

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