植村鞆音■ 直木三十五伝
私は、直木三十五の甥にあたる。直木の10歳ちがいの弟が植村清二、その長男が私である。私が、伯父の伝記を書いてみたいと思いたったのは、かれこれ50年ちかくも前のことになる。
昭和35年10月1日、晩年直木が建てた富岡の家のすぐ傍に、大佛次郎氏、平野零児氏らの呼びかけで記念碑が建てられた。
「芸術は短く 貧乏は長し」というアフォリズムが彫ってあった(ただし、これは直木の言葉そのものではない。「哲学乱酔」という随筆の中の「恋は短く、貧乏は長し」を発起人たちが、このほうが直木らしいと作り直したものである)。
当時まだ大学生であった私は、新潟から上京した父や妹と除幕式に参列した。〔…〕
私は、その日はじめて直木の前妻佛俳子寿満と愛人だった香西織恵に紹介された。私が22歳、寿満が75歳、織恵が61歳であった。私が『直木三十五伝』を書いてみたいと思った動機のひとつには、あきらかに彼女たちとの邂逅がある。〔…〕
しかし、執筆のほうは、一向に始まらなかった。私にはものを書く能力が不足していたし、間もなく就職した私に時間的な余裕もなかった。いつか書いてみたいという思いだけが、半世紀もの間、私の中でくすぶり続けていた。
ところが、一昨年、43年におよぶサラリーマン人生に終止符を打ったことで、機会がめぐってきた。
――おわりに
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■ 直木三十五伝|植村鞆音|文藝春秋|2005年 06月|ISBN:9784163671505
★★★
《キャッチ・コピー》
700篇におよぶ小説・雑文を書き、悠然と人生を駆け抜けた作家・直木三十五。小心にして傲岸、寡黙にして雄弁、稀代の浪費家で借金王、女好きのプランメイカー。
昭和初期の文壇に異彩を放った人気作家の全貌をあますところなく描く書下し評伝決定版。「直木賞」創設70周年記念出版。
《memo》
筆名の由来――植村の、植を、二分して直木、この時、三十一歳なりし故、直木三十一と称す。翌年、直木三十二……。
「青空文庫」で代表作「南国太平記」が読める。
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