東郷和彦■ 北方領土交渉秘録――失われた五度の機会
「従って私は、辞表は書きません」
担当者は無言だった。しばらくの沈黙の後、私はこう付け加えた。
「ただし、外務省において、なんらかの理由によって、『貴方に与える仕事がない』という判断をするのであれば、私は、その判断には黙って従います」
そう述べた上で、私はその場に持ち合わせていた西郷隆盛の『南洲翁遺訓』や幕末の儒学者、佐藤一斎の『言志四録』から西郷が自ら撰んで座右の誡(いまし)めとしていた手抄言志録』からの一節を示した。当時私は、友人が贈ってくれたこの一節を、朝な夕なに眺めては、一日一日を過ごしていたのである。
<およそ事をなすには、須(すべから)く天につかうるの心有るを要すべし。……天を相手にして己をつくして人を咎めず、我が誠の足らざるを尋ぬるべし>
担当者が私の気持ちをどう受け止めたかは、知るすべもない。しかし、数秒の沈黙の後、彼はこう言った。
「なるほど。東郷さんは、切腹ではなくて、打ち首を望んでおられるのですね」
この言葉を聞いたときに、私の中で何かが壊れ始めた。
――第1章 ソルジェニーツィンにならって
■ 北方領土交渉秘録――失われた五度の機会|東郷和彦|新潮社|2007年 05月|ISBN:9784103047711
★★★★
《キャッチ・コピー》
2001年3月、北方四島は戦後、最も日本へ近づいていた──。
1985年のゴルバチョフ登場以来、日ソ、日ロ間には領土問題を解決する5度ものチャンスがあった。にもかかわらず、なぜ、島は返ってこなかったのか、何がそれを妨げたのか──。領土交渉に外交官人生を懸けてきた人物だからこそ語りうる、迫真の外交ドキュメント。
《memo》
以下、本書から……
*
日本と日本人にとって、北方領土問題の根幹にあるものは何だろうか。
一般的には、ロシアに対して安全保障や外交戦略上、優位な地位を獲得するためだとか、漁業その他の経済権益の回復のためなどと言われることもあるが、私は、こういう解説は、事柄の本質をついているとは考えない。
北方領土問題は、日本が太平洋戦争をいかにして戦い、いかにして敗戦をむかえたかという歴史に直結する、民族の心の痛みの問題である。
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祖父茂徳の一人娘である母いせは晩年に痛を患い、1997年夏、すでに死の床にあった。7月の末、たまたまベッドの脇にいた私に、母はふいに、祖父が外交の仕事で何が一番大切だと言っていたのか知っているかと問いかけてきた。
一瞬、答えに窮していると、母は「交渉で一番大切なところに来た時、相手に『51』を譲りこちらは『49』で満足する気持ちを持つこと」と言った。
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