吉田篤弘■ つむじ風食堂の夜
余計な知識と膨大な聞きかじりの堆積。
生きれば生きるほど、「宇宙の謎」からはほど遠い、なんだかどうでもいいようなことに関する知識ばかりが増え続けている。たとえば――
もやしと豆もやしはどんなふうに違うのか? ロベルト・カルロスとはどんな人物であるのか? 体脂肪率とは、いかなるものであるか? などなど。〔…〕
そもそも、いちばん肝心なことが何だったのかを忘れてしまっているのである。
私にだって、昔から何度も反芻してきた重要な自問があったはずなのだ。そして、何よりそれこそが自分の人生に課された大きなテーマだと認識していたはずなのである。たしか。〔…〕
「ああ先生ね、それが歳をとったっていうやつなんです」
その夜の食堂で、帽子屋さんがあっさりそう言ってのけた。
「わたしにも経験あるなぁ。そういう日がね、来るんです。来ちゃうんです。いや、決して何かをあきらめたとか、そういうんじゃなく、何かもっと自然にね、どうでもよくなってしまうんだなぁ、これが」
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■ つむじ風食堂の夜|吉田篤弘|筑摩書房|2005年 11月|文庫|ISBN:9784480421746
★★★
《キャッチ・コピー》
食堂は、十字路の角にぽつんとひとつ灯をともしていた。十字路には、東西南北あちらこちらから風が吹きつのるので、いつでも、つむじ風がひとつ、くるりと廻っていた。舞台は懐かしい町「月舟町」。
《memo》
あとがきに、以下の記述が……。
そうだ、帰ってしまおう。世界の果てなんかではなくで、自分の生まれた町の方に。〔…〕あまりにも早く走って通りすぎてしまった時間や物や人たちを、もう一回、遠くからの視線でゆっくり眺めなおしたい。
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