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2007.10.01

小澤實■ 俳句のはじまる場所――実力俳人への道

20071001ozawahaiku

ぼくが現代仮名遣いを使いたくないのは、とくに次のことばがあることによる。

にほふ (歴史的仮名遣い)

におう (現代仮名遣い)

「にほふ」は時間を背負ったことばである。古語においては嗅覚のみならず「照りかがやく」という意で視覚もはたらくように用いられる。

歴史的仮名遣いにおいては「にほふ」に含まれる時間が滲みだし、その語の多義性が生きるのである。それに対して、現代仮名遣いの「におう」はそのようなことは起こらない。ただただ実に直なるばかりなのである。こう書くといい匂いは立たない。ぼくはどうしても俳句に「におう」とは書けない。

牡丹雪その夜の妻のにほふかな   石田波郷『雨覆』

この句の下五を「におうかな」と書き換えたら、この句の命は失われるのである。〔…〕

仮名遣いの選択は、俳句とはどういう詩であるかという認識に根ざさなければいけない。そして、どういう詩を書いていくかという志そのものでなければならない。

歴史的仮名遣いを選ぶ作者は、俳句は伝統的な詩と認識し、ことばと詩型との伝統的な力を借りて書いていく立場。

現代仮名遣いを選ぶ作者は俳句もまた現代に生きる詩と認識し、ことばの新たな面を切り開こうとしていく立場。どちらを選ぶか、それは決して軽い問題ではない。

――第十三章 仮名遣いは思想である

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■ 俳句のはじまる場所|小澤實|角川学芸出版|2007 07月|ISBN9784047034105

★★★

《キャッチ・コピー》

なぜ俳句を作るのか、なぜ季語を含むのか、なぜ縦に書くのか、写生とは何か、など、「俳句とは何か」を懇切に伝授する一冊。

小沢実■万太郎の一句

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