栗田勇■ 一休――その破戒と風狂
この奇蹟的な恋愛は、一休の生涯をしめくくる、晩年の生の結晶であり、『狂雲集』の「狂雲」の台風の目そのものであった。一休の人生と禅と詩がひとつに溶けて、森女を詠った作品は、金剛石の如き、深い輝きを放っている。
もちろん一休に触れた数多くの人々が、一休と森女との愛について語り、様々な意見を述べている。老僧と盲目の琵琶弾きとの情事、それも、赤裸々な性愛を高雅に詠い上げた、おそらく空前絶後の作品は、あまりに禅者の戒を超えているので、その事実関係が疑われるのも無理もない。〔…〕
生活的現実、モデルになった閨房の情事の、物理的生理的探索などは、読者、それぞれに委ねられることではあるが、あまり意味がないと思われる。
一休が残した情愛の絶唱を、詩的言語の創出した現実として、そこで一休と出逢い、一休の禅に参入体験することが、もっとも端的で、本当の意味で具体的で素直な一休の恋を理解することであろう。
――12章 森女との至高の恋愛
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■ 一休――その破戒と風狂|栗田勇|祥伝社|2005年 10月|ISBN:9784396612566
★★★
《キャッチ・コピー》
とんち小僧として誰からも親しまれる「一休さん」は、禅院の世俗化を痛烈に批判し、森侍女との愛欲を赤裸々に詩いあげた反俗の禅僧でもあった。このあまりにも大きい落差を、どう考えたらいいのか―。
《memo》
で、赤裸々な愛欲の詩とは、たとえば……。
美人陰有水仙花香 美人の陰に水仙花の香有り
楚台応望更応攀 楚台は応に望むべく 更に攀ずべし。
半夜玉床愁夢顔 半夜の玉床 愁夢の顔。
花綻一茎梅樹下 花は綻ぶ 一茎 梅樹の下、
凌波仙子遠腰間 凌波の仙子 腰間を遶る。(『狂雲集』通番部)
美人の陰部に水仙の香りがする
楚の台は遠く眺めるのも登るのもよい。
夜中の美しい寝床に、悲しい夢を見る寝顔がある。
梅の木の下で水仙が一本咲き、
仙女が軽やかに歩むと、腰に水仙の香りが漂う。(蔭木氏訳)
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