宮田毬栄■ 追憶の作家たち
2003年1月に亡くなったY氏は、文芸ジャーナリズムの世界で美化され、伝説化されようとしている。
なぜあれほど美化されなければならないのだろうか。美化し、「文学に殉じた人」にしようとする人たちの意図はどこにあるのだろう。「文学を愛するあまり」などと重ねて書かれると、私は変な気侍になってしまう。
「むしろ文学を憎悪していたのではないだろうか」という疑問が私のなかで渦巻くのである。でなければ、あんなに偏狭にしかも場当たり的に文学をとらえはしなかっただろう。
文学に対してすら、初めに嫉妬があった、とは言えないだろうか。「嫉妬」はあるいは彼を苦しめる無意識の病いだったのではないだろうか。ほとんどの作家と決裂してゆくY氏にとって、島尾敏雄は数少ない砦であったろうから、島尾さんには最上の敬意と親愛の態度を崩さなかっただろう。
私とY氏を握手させて安心する島尾さんを見て、島尾さんは決して真のY氏を見透かせないだろうと私は落胆していた。そういう私だって、わずかのことでY氏にほだされたり、期待を抱いたりしたのだから甘いものだ。
――第4章 島尾敏碓
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■ 追憶の作家たち|宮田毬栄|文藝春秋|2004年03月|新書|ISBN:9784166603725
★★★★
《キャッチ・コピー》
わが国で初めて文芸誌の女性編集長になった筆者が、親しく仕事をつづけた多くの作家のうち、とりわけ思い出深い7人の作家、松本清張、西条八十、埴谷雄高、島尾敏雄、石川淳、大岡昇平、日野啓三それぞれの実像を、あざやかに描出する。
《memo》
編集者の追憶ものといえば、作家のゴシップを集めた本が多いが、これは作家を支える編集者という仕事への静かな闘志が伝わってくる。
確執のあった同僚Y氏というのは、もちろん亡くなった安原顕氏のことだろう。
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