宮脇灯子■ 父・宮脇俊三への旅
この頃から父は、原稿の依頼がきても「足腰がガタガタで、もう旅行には行けないのです」「体が弱ってほとんど寝たきりの状態です」などと、健康状態を理由に断るようになった。父の体は実はそこまで悪くはなかったのだが、わざと誇張していた。
それは、筆力が衰えたことを理由に書かないのは作家としての沽券にかかわるが、体調のせいならば世間も容認してくれるだろうという考えからきていた。自分のプライドを守るための、遠まわしの、絶筆宣言に近い「休筆宣言」だった。
一度、軽井沢までわざわざ昔馴染みの編集者の方が、父の未完の原稿を持って訪ねてくださったことがある。続きを書きませんかという相談だったのだが、父は「書けません」と言葉で断る代わりに、朝から大酒をあおり、酔ってグデングデンの状態で約束の時間に現れた。〔…〕
きっと泥酔して足元のおぼつかない父を見て、諦めだけでなく、驚きと落胆、悲しみの気持ちを持たれたのではないだろうか。
しかし、男の美学だかなんだか知らないが、母、妹、私たち女三人には、父の、ときには他人にまで迷惑をかけるような、このような行動は理解しがたかった。幼稚に見えたし、腹立たしくもあり、悲しくもあった。
――「母と娘の後悔」
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■ 父・宮脇俊三への旅│宮脇灯子|グラフ社|2006年 12月|ISBN:9784766210224
★★★
《キャッチ・コピー》
鉄道による膨大な旅の作品によって、「紀行文学」という新たな文芸ジャンルを確立した宮脇俊三。子煩悩で優しく、良くも悪くも、作家らしくなかった紀行作家としての25年の歳月を、娘・灯子が遡る追慕の旅。
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