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2008.02.07

阿久悠■ 清らかな厭世――言葉を失くした日本人へ

20080207akukiyorakana

エエとかハイとかウンとか

自分で自分に返事する

これ 会話かね

もうずいぶん前から不思議に思っていることがある。それは、自分のしゃべりに対して、自分で相槌を打ったり、返事をしたりする人が多くなったことである。

何が理由なのかそもそもはわからないが、とにかく、「エエ」とか「ハイ」とか「ウン」とか、やたら句読点だらけの文章のように会話をブツ切りにして、挙句に自己完結してしまうのである。〔…〕

会話というのは、予定調和が半分と、あとの半分は偶発に対する妥協で成立する。妥協が不適当なら、理解と歩み寄りといってもいい。

会話はむしろこの、その場の雰囲気と成り行きの方が予定調和より重要で、ドンドン脇道に外れて行ったとしても、その方が楽しいのである。

そのためには、相手の目を見なければならないし、場の空気も読まなくてはならないのである。この読みが誠実で真剣に行われるなら、会話は絶妙になる。会話はそもそもラリーで、行ったきりの槍投げではない。ところが最近、自己完結の槍投げになってしまっている。

「エエ」とか「ハイ」とか「ウン」とかは、相手の思いを受け入れて発するもので、自分が自分のために使う技術ではないのだが、いつの間にか、頷き会話が普通になってしまったことを危ぶむ。

*

*

■ 清らかな厭世――言葉を失くした日本人へ│阿久悠|新潮社|2007 10月|ISBN9784104708024

★★★★

《キャッチ・コピー》

今、言葉がない。大人たちが、未来に残す言葉がない。壊れかけた日本へ--。稀代の作詞家が渾身の格言、箴言、警句で綴った、痛切なるラストメッセージ!

memo

絶妙の警句集。

おぞましい言葉は まず手書きする その醜悪さに驚くから

大人ってのはね 会話の中に 擬音を使わないものなのだ

フニャフニャのしゃべりを フニャフニャのまま文章にしても 言文一致とはいわない

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