安田敏朗■ 国語審議会――迷走の60年
ここでも技術の問題と表記の問題とが不可分であることがわかる。つまり、すべての異体字をふくめた漢字をコンピュータに載せることはできないのだとすれば、当然機械の能力が前提となった制限がなされることになる。
また漢字を使用する言語は日本語だけではないので、それぞれの言語を用いる国家のコード体系との整合性をどうはかっていくのか、といった問題も出てくる。
文字コードというきわめて現代的な課題に対して国語審議会は主導権を握ることはできなかった。同様に、人名用漢字の選定に関しては戸籍行政を担当する法務省が主導権を握るようにもなった。
つまり、国語審議会は、日々の生活で直面する言語間題について中心的に議論をする場ではなくなっていったのである。〔…〕
さらに、いま現在日本社会が多言語化しているという状況をふまえての施策を積極的に提起する場としても機能していない。2006年3月に「多文化共生推進プログラム」を策定し、行政での多言語サービスや日本語学習支援策を打ち出したのは、総務省であった。
.
.
■ 国語審議会――迷走の60年|安田敏朗|講談社|2007年 11月|新書|ISBN:9784062879163
★★★★
《キャッチ・コピー》
「正しく、美しい」国語をめぐるドタバタ劇は敗戦からはじまった。漢字制限、仮名遣い、敬語……。みんなが従うべき規範をいったいどこに求めたらいいのか。面白くてやがて哀しい、もうひとつの戦後史。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント