山田風太郎/日下三蔵■ わが推理小説零年――山田風太郎エッセイ集成
父が死ななかったら、おそらくそのあとをついで但馬国の山奥を往診鞄をブラ下げてテクテク歩いていただろう。
母が死ななかったら、少年にして人間の心の裏側というものを――自分自身の心の裏側をも――身に徹して知ることはなかったろう。それを身に徹して知らなかったら、たとえ虚構にせよ小説を書くなどいうきっかけをつかみ得なかったろう。
そしてまた、身体が丈夫で、素行が健全で、さっさと上級学校に進学していたら、おそらく学徒動員で狩り出されて、どこかの戦場で死んでいただろう。それでもなお生き残れる組に入れると思うほど私は強大な自信家ではないのである。
戦争末期の東京でたった一人で病み、そこに召集令状を受け取るという最大最悪の危ないところ、そのことすら、まさにその禍がその先の運命を切りひらくきっかけになったのであった。
吉凶はあざなえる縄のごとしという。しかし私にいわせれば凶こそ吉の根源である。同様に吉もまた凶の仮面をかぶった姿にほかならない。――かくて私は疑似ニヒリストの表情になって藤椅子に寝て煙草を吹かすのである。
――風眼帖(12)
■ わが推理小説零年――山田風太郎エッセイ集成|山田風太郎・著/日下三蔵・編|筑摩書房|2007年 07月|ISBN:9784480814913
★★★
《キャッチ・コピー》
敗戦後、若き山田風太郎はこう書く、「真に新しい面白さを読者の前に展開しなければならない」。作家誕生となった推理小説とその世界、執筆裏話などから浮かび上がる「物語の魔術師」の素顔。単行本初収録エッセイの逸品。
| 固定リンク
コメント