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2008.04.01

熊田忠雄■ そこに日本人がいた!――海を渡ったご先祖様たち

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当時、この町の日本人娼婦たちの間では「露助(ロシア人)は恐し、マンザ(支那人)は臭し、意気な日本人にゃ金がない」という戯れ歌が流行った。

明治221889)年、ウラジオストック市内の娼家10軒、そこで働く娼婦は104人、〔…〕それからまもなく娼家35軒、娼婦400人と異常な増加を示している。

「おろしや女郎衆」とも呼ばれたこれら出稼ぎ娼婦たちの故郷は長崎市周辺と島原半島、それに熊本県天草地方の、いずれも海沿いの貧しい漁村に集中していた。このうち天草出身の娘たちは「天草特産の人肉商品」などと陰口を叩かれたが、何と言われようと、したたかに生きた。〔…〕

その後、日露戟争の勃発で一時的に、この町から日本人の姿が減ったものの、戦後元に戻り、ピーク時の大正81919)年には商工業者を中心に6000人もが暮らした。

しかし日本がシベリア出兵に失敗してからは共産軍ボルシェビキによる風当たりが強まり、住みづらくなった在留邦人たちは昭和71932)年頃までに、次々とこの地を去った。

結局日本人がこの港町に暮らしたのはわずか70年ほどに過ぎなかった。

――【第6話】ロシア/ウラジオストック――北の開港場に群がった日本人たち

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■ そこに日本人がいた!――海を渡ったご先祖様たち│熊田忠雄|新潮社|2007 12月|ISBN9784103057710

★★

《キャッチ・コピー》

明治31年、南アフリカ・ケープタウンの桟橋で日章旗を振っている日本人がいた。アフリカの小島から南米の果てまで―幕末・明治期に海を渡り、日本人の誇りを忘れずに生きたご先祖様たち。世界各国、面白歴史秘話22編。

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