金原瑞人■ 翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった
考えてみれば、現在、縦書きを固守しているのは日本と台湾くらいのものだろう。
その両国でも、パソコンはいうにおよばず、日常生活でお目にかかるのは多くが横書き表記のものばかりなにもかかわらず、現代の日本で小説といえば、ほぼ99.9%が縦書きである。そしてだれにきいても「やっぱり、小説は縦書きでしょう」という。しかしそれは、ただの慣れでしかないと思う。〔…〕
表現の幅が広がるからだ。横書きもOKよとなれば、手法的にも感覚的にも幅が広がる。それはそれでまた楽しい。その結果、縦書きが駆逐されたらされたで、それもまたよし。言葉というのはそんなものだろう。〔…〕
日本の新聞界も総じて保守的である。あれほど英語や数字がたくさん出てくる記事をなぜ、いつまでも縦書きにするのか。横書きのほうが読みやすいに決まっている。
こんなことを書くと、石川九楊あたりから怒声が飛んでくるかもしれない(ぼくは石川九楊の
『一日一書』の大ファンで、彼が縦書きを信奉し、パソコンなどの横書きの廃絶を唱えている、その姿勢はおおいにかっている)けど、横書きの小説があってもいいとも思うのである。うむ、矛盾といえば矛盾なのだが。
――縦書きvs横書き
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■ 翻訳家じゃなくてカレー屋になるはずだった│金原瑞人|牧野出版|2005年 12月|ISBN:9784895000833
★★
《キャッチ・コピー》
翻訳家とは、「立場なき人々」である…。翻訳の悦びと悩ましさ、世界文学との出会いから、青春時代の思いでまで。翻訳家・金原瑞人が自らを語る初のエッセイ集。江国香織との対談、古橋秀之・秋山瑞人との鼎談も収録。
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