車谷長吉■ 物狂ほしけれ
≪世をそむける草の庵には、しづかに水石をもてあそびて、これを余所に聞くと思へるは、いとはかなし。しづかなる山の奥、無常のかたき、競ひ来たらざらんや。その死にのぞめる事、軍の陣に進めるに同じ。≫〔…〕
(俗世間を離れて隠遁している草庵では、しずかに水の流れや石のたたずまいで遊び、死の到来をよそのことだと思うているのは、大変はかないことだ。しずかな山の奥に、死という敵が競い来るようだ。その身が死に直面していることは、軍が戦場に進むのと同じである。)(第百三十七段)〔…〕
人は一生の間、名誉、色欲、食欲をむさぼり生きて行くのであるが、いつも「無常のかたき」につけ狙われている。つまり、いつも死が後ろに迫っているのである。少なくとも、つい五十年ほど前までは、そうだった。
ところが今日の日本では 高齢化・福祉社会を迎え、死にたくても死ねない時代が来た。そして老いさらばえ、醜い姿をさらし、必死で生にしがみつき、うめいている。
この先、生きていても何一つ「よきこと」などないのは、よくよく分かっているのに。死に甲斐もない。つまり生き地獄である。
――徒然草独言 人間観察家
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■ 物狂ほしけれ│車谷長吉|平凡社|2007年 10月|ISBN:9784582833744
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《キャッチ・コピー》
救いなきこの世をいかに生きるか。いかに死ぬか。徒然草には実に曇りのない目でこの世のことが書いてある―。
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