中島義道■ 醜い日本の私
自分がされたくないことでも他人はされたいかもしれず、逆に、自分がされたいことでも他人はされたくないかもしれないではないか。
このことは、各人の感受性の差異を顧みればあたりまえのことであるのに、真顔で「自分がされたくないことを他人にするな」という説教を子供たちのからだに叩き込むアホな教師があとを絶たない。〔…〕
もっと子供たちの想像力をはぐくみ、自分が快適なとき、あるいは不快でないときでも、すぐ隣の人が不快に思い、苦しんでいるかもしれないことを教育すべきである。〔…〕
異なったものを排除するのではなく、同一化するのでもなく、異なっていることを認めたうえで、そのものとしては理解できないことを認めたうえで、彼らも自分と同じように生きる権利をもつことを承認することはできるはずだ。
それこそが、真の意味での「共生」であると思う。
――醜と不快の哲学
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■ 醜い日本の私│中島義道|新潮社|2006年 12月|ISBN:9784106035739
★★★
《キャッチ・コピー》
なぜ日本人は「汚い街」と「地獄のような騒音」に鈍感なのか? 我々は美に敏感な国民である。欧米人に比べても、心使いが細やかで洗練されている―。
しかし、いや、だからこそ、この国には騒音が怖ろしいほど溢れかえり、都市や田舎の景観は限りなく醜悪なのだ!「心地よさ」や「気配り」「他人を思いやる心」など、日本人の美徳に潜むグロテスクな感情を暴き、押し付けがましい「優しさ」と戦う反・日本文化論。
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