佐藤忠男■ 映画でわかる世界と日本
イラン映画の「こんなに近く、こんなに遠く」(2005)という作品のはじめのところに、高名な医者がテレビに出演する場面があり、スタジオでカメラの前の定められた席で撮影を待っていると、ディレクターがやって来て彼になにか耳うちする。
すると彼が苦笑して自分のネクタイを外す。ほんのなに気ない場面だが、これにはイラン人にしか理解できない意味が込められている。
イラン革命以後、ネクタイは西洋化されたブルジョアのシンボルにされてしまって、たいていの男はつけない。あえてネクタイをしている男はイスラム原理主義の行きすぎにあえて暗黙の抵抗をしている人たちと見なされる。
この「こんなに近く、こんなに遠く」の主人公は国際的に活躍している有名人なので国際的常識として背広にはネクタイでテレビのスタジオに現れたのだが、それをちょっとまずいですと耳うちされて外したのだろう。
外国人にはよく意味の分からない、どうでもいいようなちょっとしたアクションだが、イラン人が見ればこれはイスラム原理主義の服装や風俗にまでおよぶしめつけに対してなに気なく疑問を投げかけている表現だということが分かるのである。
――映画で異文化とどう対話するか
*
*
■ 映画でわかる世界と日本|佐藤忠男|キネマ旬報社|2008年 04月|ISBN:9784873763002
★★
《キャッチ・コピー》
映画とは、社会を映す「鏡」である。半世紀以上にわたり世界中の映画を見続けてきた佐藤忠男が今あらためて“映画をどう見るか”を解き明かす注目の映画論。

| 固定リンク
コメント