紀田順一郎■ 読書三到――新時代の「読む・引く・考える」
なぜ記憶が重要かについては、12世紀の教師でサン・ビクトールのフーゴーの「学んだことを記憶に留めない限り、何かを本当に学んだ、あるいは英知を養ったということにはならない。教育の効用は、教えられたことを記憶するという、ただその一点にある」ということばがすべてを物語っている。
考えてみれば、いまの私たちは書物からインターネットにいたるメディア一般を、本質的に忘れるための装置としてしか用いていない。
「書物は記憶のための装置である」というとき、それは私たちの生理的な記憶力を増強するという意味では無論なくて、煩わしい記憶の手間を書物に委ねるということである。
これはいまにはじまったことではない。サミュエル・ジョンソン(1709~84)がある問題について即答ができなかったとき「君、ぼくはここに何シリングの持ち合わせしかないが、下宿に帰れば何十ポンドかの預金がある」といったことが、気のきいた警句として伝わっているほどだ。
――インターネットと記憶術
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■ 読書三到――新時代の「読む・引く・考える」|紀田順一郎|松籟社|2005年 10月|ISBN:9784879842367
★★
《キャッチ・コピー》
出版市場の低迷、若い世代の活字離れ、図書館行政の後退…。読書文化をめぐって、さまざまな問題が指摘されている。読書というものの本質、出版のあり方、図書館の意義など、読書文化を本質から考える。
《memo》
(続き)
情報量が少なかった中世においては、人々は聖書の文句を暗記するだけで足りたが、産業革命以降、必要とされる知識量は人間の記憶力の限界をオーバーしてしまった。それらの大部分は常に脳細胞に蓄えておく必要はなく、どこにあるかを知っているだけでよいとされるようになった。記憶術は受験などの一過性の手段として燻小化されてしまった。
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