池内紀◆世の中にひとこと
ケイタイのなかったころは、一日のケジメがはっきりしていた。勤務が終われば自分の時間がとりもどせた。もしできるなら、ケイタイのなかった「あのころ」にもどりたい――。〔…〕
あの小さなメディア装置が生活の中に入ってきたとたん、人間関係がガラリと変わってしまうということだ。上司と部下、親と子、夫と妻といった場合、とりわけ微妙な状況が生じてくる。
ケイタイが「監視する目」の役割をおび、相互に確認の義務が生まれ、ひとたび疑惑が生じると、双方がたえず欺き合うような恐るべき凶器になりかねない。
個人をじっと見つめていられるのは、せいぜい神の目であるはずなのに、いまやケイタイがじっと個人を見張っている。便利さの名のもとに機能はますます強化され、それにつれて失っていくものもふえていく。
ときおりケイタイ以前を思い出して、自分が失ったものを考えてみてもいいのである。
――「あのころ」に戻りたい
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◆世の中にひとこと|池内紀 |NTT出版 |ISBN:9784757150621 2009年01月
★★
《キャッチ・コピー》
せかせか忙しい毎日の中で見過ごしてしまっている、大切なこと、ヘンテコなこと。片隅から眺めた世の中を描く、心温まるエッセイ集。
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