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2009.07.28

ノンフィクション100選★もの食う人びと|辺見庸

Nonfiction100

1994

1991年のピナトゥボ大噴火で、山の生活を捨て、下界に下りてきたアエタ族は、たぐいまれな野外生活の達人であり、独自の時間感覚や物語、豊かな自然食文化を持つ、心優しい少数民族だ。〔…〕

山の生活では、サツマイモ、タロイモ、キャッサバなどイモ類を主食に、弓で射落とした鳥やコウモリなどを副食にしていて、食べものに困ったことなどなかった、という。

「平地に逃げてきてからは生きるためになんでも食い、なんでも飲みましたよ」

ネスカフェ、粉ミルク、海の魚の缶詰……。〔…〕

インスタント・コーヒーの味を問うと「最初は奇妙な味だったねえ」。

ところが、飲むにつれ慣れ、慣れるにつれて癖になった。

「なくなってみると、また飲みたくなるんだね。不思議だねえ。いま、どうやったら手に入るものか思案しているところなんだ」

――「ピナトゥボの失われた味」

★もの食う人びと|辺見庸|共同通信社|ISBN9784764103245199406

memo

本書は共同通信が19933月から全国加盟各新聞に週1回配信した「もの食う人々」(全51)を元にしたもの。わたしは連載時、神戸新聞で読んだ。

上掲はフィリッピン・ルソン島の先住民アエタ族の長老格、マガアブ・カバリク(80)の話。このネスカフェという平地民の飲料と、アモカウ(野生バナナ)を手で搾ってこしらえる生ジュースとで、どちらがほんとうにうまいか。アエタ族の内部でちょっとした論争が起きたが、議論は沸騰、意見が二分したまま決着しなかった、という。

本書が書かれた1993年といえば、わが国はバブルは崩壊したものの“飽食”の時代であった。

「ただ一つだけ、私は自身に課した。人びとと同じものを、できるだけいっしょに食べ、かつ飲むこと」。で、バングラデェシュの貧民窟では残飯を、統一直後のドイツでは刑務所の囚人食を、チェリノブイリでは放射能に汚染された食物を……。「ともに食いながら話せば、果てしない殺しあいより、食う楽しみを取り戻すほうがいいと、胃袋で理解できはしないか」。

「食う」本のベスト3は、本書のほかに……。

開高健『最後の晩餐』(1979)

「何しろ私は言葉の職人なのだから、どんな美味に出会っても、“筆舌に尽せない”とか、“いうにいわれぬ”とか、“言語の絶する”などと投げてはならぬという至上律に束縛されているのである」と言いつつ、芭蕉の食欲から人肉嗜好まで「食」の愉悦を描き尽くす。

嵐山光三郎『文人悪食』(1997)、続編『文人暴食』(2002)

2冊を書くために10年間を要した。願わくば読者諸兄諸姉も、ダイエットなどせず、好きな料理をたっぷりと食べてくれたまえ」という本書は夏目漱石から三島由紀夫まで文人37人の大食、美食、偏食、粗食を、続編ではさらに新たな37人の食癖を紹介する。

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