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2009.07.24

ノンフィクション100選★俳句という遊び|小林恭二

Nonfiction100

1991

この富士を評して「ペンキ富士」と呼ぶ人もいるという。つまり、あまりに構図が決まりすぎているところから、風呂屋に書かれたペンキ絵の富士を連想させられるというのである。

実際、俳人たちもあまり感心している様子ではなかった。

俗っぽすぎるせいか、はたまた事物をリアルスケールで捉えるのが苦手な俳句という文芸において、富士という対象はちょっと大きすぎるのか。

しかしながら、昨日肩ならしを終えてベストコンディションに近くなった俳人たちが、どのように富士を詠むかは、勝負の帰趨とともに(いや、勝負の帰趨よりずっと)興味深いところである。

そう、外すか、茶化すか。はたまたパロディでゆくか、心象でゆくか。正攻法だってないとは言いきれない。〔…〕

全員が一斉に自己の内面に沈潜して俳句をつくり始めたのは昨日と同じだが、昨日と比べてちょっとだけリラックスしているように見受けられた。

俳句という遊び――句会の空間|小林恭二|岩波書店|ISBN9784004301691200511

memo

句会という“真剣な遊び”の楽しさは、近年、小林恭二の“実況中継”によってもたらされた。

小林恭二『実用青春俳句講座』(1988)に「新鋭俳人の句会を実況大中継する」という一文がある。この試みを12日、一流俳人の集まりに拡充したのが本書である。

上述の続き――。

「二階の富士の見える部屋に居残って俳句を作り始めたのは、飯田龍太、三橋敏雄、安井浩司といった長老連。前夜絶好調だった高橋睦郎は、「プーシキン」コートをはおってあたりをぶらぶら。坪内稔典、小澤賓、田中裕明、岸本尚毅は、主に一階の土産物屋の一角にしつらえられた喫茶コーナーで何やら句帳に書き込んでいる」

この句会で飯田龍太の代表句の一つ「百千鳥雌蕊雄蕊を囃すなり」が生れた(ここでは2点句であまり評価されていないが)。

続編として『俳句という愉しみ――句会の醍醐味』(1995)がある。『猿蓑倶楽部――激闘!ひとり句会』(1995)という著書もある。著者の句。とんぼうをうらがへしたる野分かな――猫鮫。インターネットやブログがなかったころ、アサヒネットのパソコン通信(電子会議室ですね)での句会をもとにした自作自註本である。

そういえば芥川賞作家となる前の川上弘美(木星)、長嶋有(肩甲)がメンバーのパソコン句会に私もしばらく参加させていただいたことがあった。

哀しい目にしか作れない雪達磨   肩甲

二の腕をそつと噛みたる銀河かな  木星

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