辺見庸◆しのびよる破局――生体の悲鳴が聞こえるか
「われわれはみな携帯電話を内蔵した存在になった」
とジャン・ボードリヤールが書いたのは早くも1990年代でしたが、事態はいま、文化論の象徴表現的次元をこえて、はっきりと現実化しています。
人間が携帯電話を身体に内蔵したような生きものになってしまったことは、秋葉原事件の青年だけでなく多くの人が認めざるをえない事実なのです。
ボードリヤールは「生活とイメージの過剰接近」や「時間的・空間的隔たりの無力化」により人間社会に「重大な混信状態」が生じるだろうと予言していますが、いまがまさにそれです。秋葉原事件はボードリヤールの予感の現実化ともいえます。〔…〕
いまや、ぼく自身が異様ともおもわないし、携帯を非常に多用して、依存もしている。〔…〕
すべてのコミュニケーションがじつのところ、なりたっているようでいて、「重大な混信状態」におちいっているとぼくは感じています。
――「端末化する生体」
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◆しのびよる破局――生体の悲鳴が聞こえるか|辺見庸|大月書店|ISBN:9784272330584|2009年03月
★★★★
《キャッチ・コピー》
NHK・ETV特集を再構成、大幅補充。金融恐慌、地球温暖化、新型インフルエンザ、そして人間の内面崩壊─。異質の破局が同時進行するいまだかつてない時代に、私たちはどう生きるべきか。「予兆」としての秋葉原事件から思索をはじめる。
《memo》
ジャン・ボードリヤール:フランスの社会学者
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