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2009.07.02

水村美苗◆日本語で読むということ

20090702mizumarayomu

昔、パリに留学した私は、セーヌ川の西に白い一軒家を構える家にあずけられた。女主人が頼まれて引き受けてくれたのである。彼女が「小母さん」であった。

二十歳の時である。〔…〕

心楽しませてくれるものが山とある。美しい家。おいしい料理。優しい人々。だが一方では、何かが違うという思いがあった。

何しろ家の中に本というものがなかったのである。〔…〕

「オー・ラ・ラー!ミナエがまた読んでる!」

小説を読んでいると、小母さんが感嘆した声をあげた。〔…〕

私は貧しさが本に結びつかないことは知っていた。だが豊かさは自然に本と結びつくと思っていた。

無知だったのである。

その無知が、驚き、軽侮の念、失望にどこかでつながった。それで、大切にされ、多くを与えられながら、小母さんのような女の人の親切の、本当の深さを知らずにいた。倣慢な心であった。

――「街物語パリ」

*

◆日本語で読むということ|水村美苗|筑摩書房|ISBN9784480815019200904

★★★

《キャッチ・コピー》

泣く泣く書くうちに楽しくなったものばかりを収めた一冊。読書や思い出や自分の本にまつわるエッセイ。

水村美苗◆日本語で書くということ

水村美苗◆日本語が亡びるとき――英語の世紀の中で

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