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2009.08.25

ノンフィクション100選★石井妙子|おそめ

Nonfiction100_2

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俊藤という男のために、哀しい業を女たちはそれぞれに背負わされたのである。〔…〕

しばらくすると、百合子夫人に代わって、一番上の男の子が生活費を取りに寄るようになった。秀が食事を用意して「ボン、食べて行きや」と勧めると、素直に目を輝かして、「いただきます」と一礼して箸を取った。無邪気にご飯をほおばる様子には、秀ばかりではなく、俊藤を憎みきっている母のよしゑまで、涙を滲ませた。〔…〕

「うちが、あの子たちのお父さん、取ってしまったんやさかい。しゃあないやないの」〔…〕

1階はバー「おそめ」、時代を代表する著名人が夜毎に集まる夢の空間。

そして、その2階では家庭内の複雑な人間関係が交錯し、時に修羅の場となる。

それが木屋町仏光寺の家だった。

★おそめ――伝説の銀座マダムの数奇にして華麗な半生|石井妙子|洋泉社|ISBN9784896919844200601

memo

上掲の「俊藤という男」は、のちの東映仁侠映画のプロデューサー俊藤浩滋(女優・藤純子の父)である。「結婚にあこがれる秀に俊藤が『独り者や』と偽って近づき、あっという間に家に上がりこんで秀の財力を頼って暮らし始めた」(本文)と主人公のヒモのように描かれる。「おそめ」の亭主がまさか俊藤浩滋とは、というのが初読時のいちばんの驚きであった。というのも俊藤浩滋の半自叙伝『仁侠映画伝』(1999)に、それを匂わす記述がないからだ。

本書は、上羽秀という女の一生である。バー「おそめ」のマダム。元祇園芸妓。大仏次郎、川端康成、白洲次郎、小津安二郎、川口松太郎らが客として登場する。

――なかでも「エスポワール」のマダム・川辺るみ子が受けた衝撃は大きかった。〔…〕

なによりも悔しかったのは、これまで心安くつき合ってきた文士たちはもとより、恋人である白洲次郎が「おそめ」の開店以来、「エスポワール」に姿を見せないことだった。「おそめ」に入り浸っているという噂が、川辺の耳には入っていた。(本文)

「おそめ」が銀座に進出した2年後に「エスポワール」川辺るみ子と「おそめ」上羽秀をモデルにした川口松太郎の小説『夜の蝶』(1957)が出版された。同時に映画化され、新派の舞台にもなった。映画や小説が力のあった時代である。たちまち週刊誌などでさわがれる。

柴田錬三郎は小説『大将』(1970)の中で「ようやく名がうれはじめた若い作家や、駆け出しのジャーナリストなど、大家のお供をして、やってきても、終始黙殺された」と書く。吉行淳之介は『酒中日記』(1988)に「あの当時は新人作家があの店に入るなんてありえないことだったんだ」と書く。野坂昭如は『新宿海溝』(1979)で「とても一人ではラモールにも、また『エスポワール』『おそめ』にも足をふみ込む勇気はない」と書いている。

 石井妙子が5年をかけたという初めてのノンフィクション。冒頭に何かの精のような老女が登場する。「すべてが洗い流された先の無の姿とでも言うべきものか」。さもあろうかと思われる主人公の現在の姿である。

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