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2009.08.13

ノンフィクション100選★墜落の夏|吉岡忍

Nonfiction100

1986

墜落までの32分間に遺書をしたためた人たちが5人いた。

この人たちの多くは、もはや助からないだろう、と予感していた。多くの乗客が、同じことを考えたにちがいない。心理的準備がないままに、いきなり死に直面させられた人たちの書き残した文章には、その人のぎりぎりの心情が表われていた。〔…〕

<ビッグ・ビジネス・シャトル>のなかでは、乗客のだれも仕事のことを書き残さなかった。

だれひとり、仲間や上司や部下にあてた遺書やメモを残さなかった。〔…〕

いきなり死に直面したとき、乗客たちがとっさに書いた文章の内容は、死にたくない、というぎりぎりの言葉と、家族にあてた愛と惜別の言葉だった。

それしか、なかった。

墜落の夏――日航123便事故全記録|吉岡忍|新潮社|ISBN9784103630012 198608

memo

1985812日、日航123便ジャンボ機が墜落し、520名の生命が失われた(生存者4)。本書は事故のわずか1年後に刊行された。

墜落までの32分間、フライト・レコーダーや生存者の証言による“真実”、乗客509名の職業、搭乗理由、残された家族の世帯構成、遺体の検死と身元確認、補償問題、事故原因等が克明に記される。

509人が羽田発午後6時の日航123便に乗った理由はさまざまだった。出張の帰途に乗ったビジネスマンもいれば、同じビジネスマンでも休暇をとって帰省する途中だった人もいた。しかし、この便が〈ビッグ・ビジネス・シャトル〉であったことは509人のうちの223名が出張や商用の往路か復路であったことにも、はっきりとうかがえることだった」(本書)

 だが、上掲のように「乗客のだれも仕事のことを書き残さなかった」のである。

 日航123便墜落に関してはその事故原因究明などさまざまな著作がある。小説では、横山秀夫の最高傑作『クライマーズ・ハイ』(2003)がある。著者が上毛新聞記者時代にこの事故に遭遇している。「記録でも記憶でもないものを書くために、18年の歳月が必要だった」と語っている。

わたしは報道をめぐっての編集局(社会部、政治部、整理部)、販売局、広告部など一筋縄ではゆかない連中の社内の確執、葛藤が描かれる“群像”小説として読んだ。

また、日航をモデルにした山崎豊子『沈まぬ太陽』(1999)では「3御巣鷹山篇」で事故の遺族などが描かれている。

 吉岡忍は、アメリカ紀行の『ガリバーと巨人の握手』』(1985、のちに『散るアメリカ』と改題)、幼女4人を誘拐惨殺した宮崎勤事件の『M/世界の、憂鬱な先端』(2000)などがある。

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