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2009.09.20

ノンフィクション100選★マイ・ラスト・ソング|久世光彦

Nonfiction100

1995

歌と言ったって、歌謡曲もあれば童謡もある。讃美歌だって歌である。

パティ・ペイジの「テネシー・ワルツ」を聴けばいまでも涙が出るし、杉並第一国民学校という私の小学校の校歌を兄と二人で口ずさめば、あの顔この顔、次々と浮かんでくる。

 もう死んでしまった奴、行方の知れない奴――時代が変わればその都度の人の数だけ歌があり、ところ変わればまた一つずつ歌がある。

まして、死ぬときに耳元で聞こえる歌ということになれば、それは私の人生そのものということになるかもしれない。

無人島へ持っていく一冊の本とは訳が違う。

〈あなたは最後に何を聴きたいか?〉自分で言い出しておきながら、これはとても厄介な質問である。

★マイ・ラスト・ソング――あなたは最後に何を聴きたいか|久世光彦|文藝春秋|19954

久世光彦はテレビドラマの演出家、小説家、作詞家として活躍した。

死ぬ間際にたった一曲聴けるなら何を選ぶという「マイ・ラスト・ソング」は「諸君!」に1992年から14年間連載され、単行本は『マイ・ラスト・ソング』(1995)『みんな夢の中』(1997『月がとっても青いから』(2001)『ダニー・ボーイ』(2004)『マイ・ラスト・ソング最終章』(2006)5冊を数える。

このほど『ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング』(2009)がでた。全123篇のうち52篇をおさめた文庫版である。ハーモニカやオルガンの音が聞こえる。歌を手がかりに昭和の時代を訪ねるのだ。そして久世光彦は、聴きながら、書きながら、泣くのである。「感傷とは何と気持ちがよく、何と嬉しいものか」と。

――言い訳めくが、あまり良過ぎても、レコードというものは売れないのである。けれど、いつ、どんなときに聴いても泣いてしまうという歌は、そうあるものではない。(さくらの唄=これで皆んないいんだ 悲しみも/君と見た夢も おわったことさ)

――いつ聴いても、どんな人が歌っていても、かならず泣いてしまう歌が、私には三つある。だいたい私は、歌に関しては泣き上戸だから、そのときの状況によっては、つまらない歌にもすぐ泣いてしまうのだが、いつ、どこで聴いてもというのは、「おもいでのアルバム」、「何日君再来」(ホーリーチンツアイライ)、「讃美歌三一二番」(いつくしみ深き友なるイエスは……)の三つ。

――はめから終わりまでいい加減だった男のために流した、女のはじめての涙だった。エンディングに、おおたか静流の歌が流れる。――私は泣き虫だが、自分のドラマに、あんなに泣いたことはない。(みんな夢の中=冷たい言葉で 暗くなった夢の中/見えない姿を 追いかけてゆく私)

――《あの味噌汁の作り方を書いてゆけ》のフレーズに、私の胸は痛くなる。《どうしてもどうしてもどうしても》と三度繰り返すところで、涙が滲んでくるのである。(=妹よ/父が死に母が死に お前ひとり)

――《遠いさびしい 日暮れの路で/泣いて叱った 兄さんの/涙の声を 忘れたか》。ストーリーはよくわからないが、二番でもう歌っていて涙ぐんでしまう。だいたい、歌に説明なんか要らないのだ。歌っていて、聴いていて――泣かせてくれれば、それでいいのだ。(=人生の並木路

いつかネットでダウンロードして“わがマイ・ラスト・ソング”集をつくりたいと思っている。

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