ノンフィクション100選★何でも見てやろう|小田 実
私はエーゲ海の島をめぐった。そのとき私は4等船客だったが、ひとはそれを、いみじくも「奴隷クラス」と呼ぶのである。〔…〕 アメリカ人というものは寒中でも窓をあけたがる人種だから、彼らもまた、私同様甲板でゴロ寝をえらんだ。 そのオーバー1枚を頼りに寝ちぢまっている私のそばには、たえず誰かしら一文ナシのアメリカの若者がいたが、私は彼らと話をして夜を過ごした。 共産主義について、自由について、ギリシアの女の子について、ZENについて、スイス人のケチンボさについて、日本の映画について。 話題は何でもよかった。話していなければ、寒くてやりきれぬのであった。 ★何でも見てやろう|小田 実|河出書房新社|1961年 |
職場の同僚4、5人で各自毎月1冊ずつ本を買い、1週間ごとに回すことを始めた。1冊買うだけで4、5冊の新刊が読めるのである。20代のころで、半年ほど続いた。
私が最初の買ったのが小田実『何でも見てやろう』だった。ビニールカバーのついた“河出ペーパーバックス”の第1作で、定価230円だった。小林信彦が中原弓彦名義で書いた『虚栄の市』も高橋和巳『悲の器』も、このペーパーバックスだったと思う。
本書は1958年夏、26歳の小田実が欧米・アジア22か国を“1日1ドル”の貧乏旅行をした記録である。1961年に刊行、翌62年パーパーバックスで発売されている。
わたしにとって長い間旅の本ベスト3は、北杜夫『どくとるマンボウ航海記』、小田実『何でも見てやろう』、堀江謙一『太平洋ひとりぼっち』(これは旅?)だった。3作に共通するもの、それは欧米コンプレックスのない旅の記録であること。とりわけ1932年生れの小田実の本書における言動は自由奔放である。
それは翌年にでた1920年生れの安岡章太郎『アメリカ感情旅行』(1962)と比べればわかる。安岡は「路上で、ホテルのロビーで、学校の教室で、知人の家の居間で〔…〕感情の半分は何かわかからぬものへの期待と恐怖心に占領されていた」と書く。そして、自分が見られているという意識から片時も離れられなかったから、本のタイトルを『何でも見られてやろう』としようかと考えるのである。
この知性と活力あふれる作家小田実は、1965年ごろからベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)の代表となり、ベトナム反戦運動にのめりこんでいく。
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