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2009.10.16

ノンフィクション100選★嘘つきアーニャの真っ赤な真実|米原万里

Nonfiction100

2001

「アーニャ、私たちの会話が成立しているのは、お互い英語とロシア語を程度の差はあれ、身に付けているからよ。あなたがルーマニア語で喋り、私が日本語で喋ったら、意志疎通はできないはず。

だいたい抽象的な人類の一員なんて、この世に一人も存在しないのよ。誰もが、地球上の具体的な場所で、具体的な時間に、何らかの民族に属する親たちから生まれ、具体的な文化や気候条件のもとで、何らかの言語を母語として育つ。

どの人にも、まるで大海の一滴の水のように、母なる文化と言語が息づいている。母国の歴史が背後霊のように絡みついている。

それから完全に自由になることは不可能よ。

そんな人、紙っぺらみたいにベラベラで面白くもない」

「………」

★嘘つきアーニャの真っ赤な真実|米原万里|角川書店|200106

19601月から196410月まで、米原万里はプラハのソビエト学校に通う。50カ国以上の子どもたちが学ぶ学校である。9歳からの約5年間過ごしたときの級友たちに会いたいと、中欧の政情不安のニュースを聞くたびに思う。これが米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(2001)の背景である。

 男の見極め方を教えてくれるギリシア人のリッツァ。ブカレスト生れのプラハ育ち。一度も仰ぎ見たことのないギリシャの空を自慢する。

嘘つきでもみなに愛されているルーマニア人のアーニャ。ルーマニアは貧しくトウモロコシしか食べていない、とからかわれ、クラスメイト全員を自宅に招きルーマニア料理をご馳走する。

クラス一の優等生、ユーゴスラビア人のヤスミンカ。北斎の浮世絵が好きで画家になりたい。

そして30年後、音信不通の級友を探す旅が始まるのである。ギリシア人のリッツァは、フランクフルト郊外に住み、医師になっていた。ルーマニア人のアーニャは、ロンドンに住み、雑誌編集者になっていた。ユーゴスラビア人のヤスミンカは、ベオグラードに住み、翻訳者になっていた。

探し当てる旅はスリリングで感動的。生き方に共感もあり、考え方に反感もある。あわい感傷をまじえながら、時代に翻弄された三人の過酷な人生を描いていく。

米原万里は、2006年、56歳で死去。辛らつで滑稽な小咄のような文明論的エッセイは、どれもこれもおもしろい。同時通訳者の内幕を爆笑で描いた『不実な美女か貞淑な醜女か』(1995)、だじゃれ、シモネタ満載の『ガセネッタ&シモネッタ』(2000)、ユニークな119点の発明品を披露する『発明マニア』(2007)など約20冊の著書がある。

なかでも死後すぐに刊行された『打ちのめされるようなすごい本』(2006)は、1995‐2005の全書評とともに、週刊文春に連載された「私の読書日記」が収録されている。読書日記でありながら壮絶な闘病日記である。

 なお、ゴシップとして記すのだが、佐藤優『交渉術』(2009)に、米原万里がモスクワのホテルで橋本龍太郎総理に通訳の打合せに呼び出され、その橋龍に襲われそうになったことがある、怖かった、最低だわ、と本人から聞いた話が載っている。「あの人が最後までエリツィンと渡り合うことができるのか、私には不安だわ」と佐藤に語ったという。

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