« 下條正男◆竹島は日韓どちらのものか | トップページ | 佐野真一◆新忘れられた日本人 »

2009.10.02

ノンフィクション100選★ソウルの練習問題|関川夏央

Nonfiction100

1984

「いままでも日本という国と、日本人という民族がいることは知っていたわ。でもそれは頭のなかだけのこと、学校で習ったり、両親に教えられたり。

つまりね、日本人をひと塊でしか感じられないの。全体としてしか。

頭がよくまわり、そのくせ品のない、落着きもない民族。いつも韓国の頭をおさえつけていて、好意を持ちにくい民族……。

日本人も結局はひとりとひとりの集まりだということが実感できなかったのね、韓国人みたいに」

ぼくは黙っていた。

「あなたと、二年間、ほんとうに跳び跳びだけれど二年間つきあっているうちに、日本人もひとりひとりべつの顔や性格をもっているということがわかったの、やっと。こんなに長い時間かけて、こんなに簡単なことが」

ぼくは微笑するしかなかった。感動とともに、自分たちが、予想していたよりもずっと遠い場所から眺めあっていたのだという苦い、あきらめに似た感情が湧きあがってきた。

★ソウルの練習問題――異文化への透視ノート|関川夏央|情報センター出版局|19841

 10人ほどの旅仲間がいて、1989年のシンガポールをかわきりに、香港、バンコク、上海、北京、台北、ホーチミンなどへ出かけているが、どういうわけかソウルや釜山へは行ったことがない。

1970年代後半に「釜山港へ帰れ」など韓国演歌ブームがあった。1988年のソウルオリンピック、2002年のサッカー・ワールドカップの日韓共同開催。2003年、韓国ドラマ「冬のソナタ」を契機に、日本のおばさんたちが大挙して韓国旅行に出かけた。いまもBSでは、ここは韓国かと思うほど連日韓国ドラマが放映されている。しかし韓流ブームも下火だし今年あたり行こうかと決まりかけたが日程が折り合わず中止となった。

 どうも韓国とは縁がない。卑屈―贖罪、あるいは、尊大―蔑視という時代が長く続いたが、“近くて遠い国”として敬して遠ざけていたのではない。まあキンキン声でディベートをしかけてくるようなイメージをもっていたが……。そして1984年、関川夏央『ソウルの練習問題』によってはじめて等身大のフツーの韓国を知ることになる。

「卑屈な旅行者は終始一貫して謝りつづけ、尊大な旅行者は傍若無人にいぼりつづける。深刻冷笑派は根拠のないことで悩み、知識なく冷笑しつづける」ので、著者は「韓国とソウルについての、誠実な旅行案内を書こうと意図した」と書く。しばらくして「旅行案内と書いたが、それは謙遜である。そのような穏やかな表情を崩すことなく、それを超えて、ひとつの誠実な異文化接触のルポルタージュを書きたかったというのが著者の真意だ」としている。

 続いて『海峡を越えたホームラン』(1984)1982年に発足した韓国プロ野球リーグが、翌年から在日韓国人に門戸を開放した。元広島カープの福士明夫、読売ジャイアンツ出身の新浦壽夫などが、言葉のわからない「祖国」で体験する“異文化”を追う。

 わたしは、その後関川夏央を約10年読み続けた。北朝鮮をあつかった『退屈な迷宮』(1992)、谷口ジローとのまんが『「坊ちゃん」の時代』5部作(19871997)『家はあれども帰るを得ず』 (1992)などのエッセイ、『戦中派天才老人・山田風太郎』(1995)など。その後は著者の“中年シングル生活”という加齢臭が嫌になり、それに加えて好きだった文体まで“高尚”癖に思えて読まなくなった。

|

« 下條正男◆竹島は日韓どちらのものか | トップページ | 佐野真一◆新忘れられた日本人 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/49381/46368278

この記事へのトラックバック一覧です: ノンフィクション100選★ソウルの練習問題|関川夏央:

« 下條正男◆竹島は日韓どちらのものか | トップページ | 佐野真一◆新忘れられた日本人 »