« 佐野真一◆新忘れられた日本人 | トップページ | 東京やなぎ句会◆五・七・五――句宴四十年 »

2009.10.04

ノンフィクション100選★我、自殺者の名において|若一光司

Nonfiction100

1990

オリンピックを翌年に控えた427月には、右足のアキレス腱を切断したうえに椎間板ヘルニアをも悪化させ、手術と4か月近い入院生活を余儀なくされた。〔…〕

退院後の円谷は焦燥の中でトレーニングを開始するが、思い通りに体調が回復せず、調整スケジュールも見通しが立たない有様だった。

しかし、関係者の期待は容赦なく円谷の背にのしかかった。特に、彼の属していた自衛隊体育学校は、徹底した「金メダル第一主義」で知られていた。

「何がなんでも日本に金メダルを!」というナショナリズムの大合唱は、この生真面目で心優しい27歳の青年を、日々確実に、暗い絶望の深淵へと追いつめていったに違いない。

★我、自殺者の名において――戦後昭和の104人|若一光司|徳間書店|199001

 わが国における自殺者数は、1997年には24千人、ずっと2万人台前半であったものが、翌1998年に一挙に32千人、その後も3万人台前半で推移している。男性が7割をしめる。原因・動機が明らかなものでは、健康問題、経済・生活問題、家庭問題、勤務問題の順。

若一光司『我、自殺者の名において』(1990)は、文庫化に際し『自殺者――現代日本の118人』(1998)と改題した。著者は、有名無名の自殺者の動機や背景をさぐっていく。巻末の“自殺年表”は、「昭和2012月 A級戦犯・近衛文麿元首相、出頭の朝に自殺」から始まる。「現象的にはどんなに『極私的な動機による自殺』と見えようとも、社会や時代の状況と無関係なところで成立する自殺など、決してありえないし、個人の資質を離れた『社会的動機のみによる自殺』も存在しない」と著者は書く。

自殺といえば、わたしは上掲の東京オリンピックマラソン第3位の円谷選手の遺書に衝撃を受けた。昭和の事件や文学作品において、これ以上の感動を呼ぶ遺書を読んだことがない。遺書そのものをベスト・ノンフィクションに選びたいくらいである。

父上様、三日とろろ美味しゅうございました。干し柿、もちも美味しゅうございました。

敏雄兄、姉上様、おすし美味しゅうございました。

克美兄、姉上様、ブドウ酒、リンゴ美味しゅうございました。

巌兄、姉上様、しそめし、南ばんづけ美味しゅうございました。

喜久造兄、姉上様、ブドウ液、養命酒、美味しゅうございました。又いつも洗濯ありがとうございました。〔…〕

父上様、母上様、幸吉はもうすっかり疲れ切って走れません。なにとぞお許し下さい。

気が休まる事もなく、御苦労、御心配をお掛け致し申し訳ありません。

幸吉は父母上様のそばで暮しとうございました。

 桑原稲敏『往生際の達人』(1998)は、芸能人を中心に三百数十名の“往生際”のエピソードを集めたもの。

円谷については、自衛隊体育学校の上司にあてたもう一通の遺書を紹介する。

〈校長先生、済みません。

高長課長、何もなし得ませんでした。

宮下教官、御厄介お掛け通しで済みません。

企画室長お約束守れず相済みません。〉

山田風太郎『人間臨終図巻』(198687)は、15歳から100代までの古今東西有名人の臨終を扱ったもので、死去した年齢順に並べられている。奇書である。

円谷については、「朝日新聞記者中条一雄によれば、幸吉の自殺は、足と腰の故障のほかに、彼には美しい恋人があったが、体育学枚の校長が、オリンピックをひかえて恋愛沙汰はまかりならぬと交際を禁じ、2カ月前にその女性がほかの男性のもとに嫁いだことによるという」。

円谷については、長岡民男『もう走れません――円谷幸吉の栄光と死』(1977)、青山一郎『栄光と孤独の彼方へ――円谷幸吉物語』(1980)、橋本克彦『オリンピックに奪われた命――円谷幸吉、三十年目の新証言』(1999)があるが、いずれも未読である。

なお、若一光司には、『二十世紀の自殺者たち――130人の時代証言』(1992)(文庫化に際し『自殺者の時代――20世紀の144人』(1998)もある。これはヘミングウェイ、モンロー、江青など世界の有名人の自殺を集めたもの。

|

« 佐野真一◆新忘れられた日本人 | トップページ | 東京やなぎ句会◆五・七・五――句宴四十年 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: ノンフィクション100選★我、自殺者の名において|若一光司:

« 佐野真一◆新忘れられた日本人 | トップページ | 東京やなぎ句会◆五・七・五――句宴四十年 »