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2009.11.13

ノンフィクション100選★文壇|野坂昭如

Nonfiction100

2002

二十五日、毎日新聞から電話があり、「知ってますか」「えっ?」「三島が自衛隊になぐりこみました」「自衛隊に?」「とにかくTV観て下さい」TVをつけると、バルコニーでさけぶ三島の姿、すぐ丸谷に電話をかけた。「はーい、丸谷です」「野坂ですけど」「あ、君かァ」まだ知らない、TV観て下さい」「TV? 君、歌でも唄ってるのかい?」「三島さんが、自衛隊になぐりこんだそうで、今、TVでやってます」「後で電話する」。以後、TVの前に座りこみ、いっさい電話に出なかった。〔…〕

十二月半ば、丸谷から葉書が来て、狂歌、「年の瀬を横に斜めにタテの会、何かにつけて心せわしき」丸谷も三島の蟹嫌いは知っていたらしい。「あれ以後、筆が進んで――」と執筆中の、長篇第三作に少し触れていた。大晦日、丸谷は、「たった一人の反乱」を書き上げ、講談社担当編集者に渡したという。

★文壇|野坂昭如|文藝春秋|ISBN9784163584201200204

 野坂昭如『文壇』(2002)は、1961年の色川武大の中央公論新人賞受賞パーティから始まり、上掲の19701125日の三島事件で終わる。

この間を年譜ふうにまとめると……。1960年、30歳、野末珍平とワセダ中退・落第の名で漫才。1961年、週刊誌のコラムなど雑文業を開始。1962年、「プレイボーイ入門」がベストセラー。黒めがねの元祖プレイボーイとして「女は人類でない」と発言。1963年、「エロ事師たち」で小説家デビュー。1968年、37歳、「アメリカひじき・火垂るの墓」で直木賞を受賞し、焼跡闇市派を名のる。

本書は、その1960年代、流行作家や名物編集者たちが夜な夜な酒に浸り、文学論を戦わせる銀座や新宿の薄暗がりの文壇酒場が登場する。純文学と娯楽小説との差別はあったが、しかし活字メディアが圧倒的に一番だった時代を、おそるべき記憶力で語る私的ドキュメンタリーである。

 著者には本書より23年前に書かれた『新宿海溝』(1979)という同工異曲の作品がある。こちらも主人公の庄助以外はみな実名。作家、編集者など人名索引には165名、バーなど店名索引は101店が掲載されている。本書『文壇』はそれをはるかに越える人名、店名がほとばしりでて、1960年代の文壇風俗が活写される。ノンフィクション100選に選んだ所以である。

著者はその後、「黒の舟歌」など歌手として、また53歳で参議院選に当選するなど、常にその過激ともいえる行動で世間を挑発してきた。

同時代のライバル作家だった2歳下の五木寛之は、70歳を越えても『百寺巡礼』(20032005)『林住期』(2007)『親鸞』(2009)などベストセラーを連発している。

これに対し、野坂昭如は2003年に72歳で脳梗塞に倒れたものの、妻・野坂暘子『リハビリ・ダンディ──野坂昭如と私 介護の二千日』(2009)によれば、ことばを発することができない“76歳のヨボヨボじいさん”が荒木経惟『野荒れ ノアーレ』(2008)という写真集にモデルとして登場したり、ことばを取り戻すために『ひとり連句春秋』(2009)を始めたり、“生涯戦闘”の野坂らしい生き方をしている。

本書『文壇』で直木賞受賞の「火垂るの墓」について、「いかにも自分の体験に基づいているかの如く文字を連ね、大嘘である、自己弁護とまで考えないが、卑しい心根に基づくフィクション、どう嘘をついてもかまわない特権はあるのかもしれないが、この嘘はいかがわしい、小説家にさえ、これは許されないような気がする」と例によって自虐的に書いているが……。

しかしわたしは後世、野坂昭如という作家は“生涯戦闘”の無頼派としてではなく、戦争の語り部、『戦争童話集』(1975)の作家、絵本やアニメの原作者として名前を残す気がしてならない。

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