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2009.11.15

吉村昭著/津村節子編◆炎天

20091115yoshimuraenten

20代に読んだ内田百聞氏の随筆が、今でも記憶に残っている。氏は、音楽をよく理解できるが、絵画に対する関心は薄く、人間は、いずれか一方に偏っているらしい、といった内容だった。〔…〕

聴覚型、視覚型と人間をわけてみた場合、短歌は聴覚型、俳句は視覚型の人間がより深い理解度をもっているのではないだろうか。

門外漢ながら私が、短歌よりも俳句を好むのは視覚型であるからだ、と考えた。〔…〕

現代の高名な俳人の俳句が理解できないのは、私が視覚でしか俳句を見ていない、と言うよりは見ることができないからだろう。心の内側から詠まれた句の良さが、すべてとは言わないが、理解できないものが多いのである。

俳句が好きでありながら、私が初歩の愛好家の域を出られない原因は、この点にあるらしい。

――「視覚型と聴覚型」

◆炎天|吉村昭著/津村節子編|筑摩書房|ISBN9784480804211200907

★★★

《キャッチ・コピー》

吉村昭氏は俳句が大好きで、熱心に句作に励んでいた。その句は小説の作風とも繋がり、骨太で人間味溢れるものが多い。幻の私家版句集にその後の句とエッセイを増補した決定版。

memo

還暦の祝いに15部限定の句集「炎天」をつくってもらったが、編集者某氏からもっとも秀れた句としてある一句を記した手紙がきた。それは私が20歳のときに作った句で、となると10年も句会で句作を続けたのに……。という一文が収録されている。文脈からの勝手な推理だが、「夕焼けの空に釣られし小鯊(こはぜ)かな」ではないかと思われる。

 亡兄に似た人見たり冬の駅

 落葉して欅の幹の太さかな

 遅れくる人遅れきて初句会

 大漁旗天一望の鰯雲

 自転車の母も負ふ子も夏帽子

津村節子■ ふたり旅――生きてきた証しとして

吉村昭■ わたしの普段着

川西政明■ 吉村昭

 

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