鷲田清一◆噛みきれない想い
客である相手を主にするのが、接客のこころ(ホスピタリティ)というものである。 愚痴の聞き役になる、憤懣の受け手になる、それを心得た接客のプロのみならず、市井のひとだって接客のマナーはわきまえている。 客がくれば、ふだんは主人が座る床の間の前へと、客に座布団をすすめる。客を主にし、じぶんはその客の客になるのだ。ホスピタリティというのは、その意味でイニシアティヴを客にわたすところにある。〔…〕 じぶんのものである時間をだれかにあげるという心根、そこにこそホスピタリティはある。 最近のお笑いタレントは、「主」がだれかを忘れているようにみえる。 漫才師や噺家としての芸を失い、ホスピタリティのプロであることをみずから放棄している。 使い捨てになっても、しかた、あるまい。 ――「お笑いタレントの『罪』」 |
◆噛みきれない想い|鷲田清一|角川学芸出版|ISBN:9784046214690|2009年07月
★★★
《キャッチ・コピー》
ひとは他者とのインターディペンデンス(相互依存)でなりたっている。「わたし」の生も死も、在ることの理由も、そのつながりのなかにある。日常の隙間にみえるメタファーから「答え」のない「問い」と向き合う、思索のエスプリ。
《memo》
久しぶりにエッセイが堪能できるエッセイ集。
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