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2009.12.02

ノンフィクション100選★あゝ野麦峠|山本茂実

Nonfiction100

1968

「峠の地蔵様が笹原の中に立っているのはその付近で、あの谷はどれだけ多くの工女の命をのんだか知れません。野麦衆がこの谷をゴンタ淵といっているのはそのためでございます。〔…〕

わしらは先の人に離れないようにヒモで体せ結び合わせ、峠の地蔵様に念仏をとなえながら一足一足命がけでついていったのでございます」〈中村とみ・明15・古川〉〔…〕

腰巻きのすそは凍ってガラスの破片のようになり、女のモモは切れて血が流れ、ワラジをいくら取り替えても足袋は凍り、足は凍傷にふくれ、宿についてもすぐ火にあたることもできなかった。

「野麦峠の雪は赤く染まった」とよく話にきくが、それは、腰巻きの染料が雪にとけたものであることが後でわかったが、

そればかりではなく、この女たちの足から流れた血もまじっていたことであろう

★あゝ野麦峠――ある製糸工女哀史|山本茂実|朝日新聞社|1968

山本茂実といえば、戦後間もなく創刊され高度経済成長が始まるまでの間、勤労青年などに愛読された人生雑誌「葦」の編集者として知られた人である。「人生手帖」とともに投稿雑誌として集団就職した若者に読まれた。

山本茂実『あゝ野麦峠――ある製糸工女哀史』(1968)は、野麦峠をかつて行き来した飛騨の老女の“わが青春”ばなしをとおして“明治100年”を体感しようというノンフィクションである。

野麦峠は、飛騨高山と信州松本の境に位置する標高1,672mの峠。峠いちめんをクマザサがおおっている。「大凶作と騒がれるような年には、このササの根本から、か細い稲穂のようなもの現れて、貧弱な実を結ぶ。これを飛騨では野麦といい、里人はこの実をとって粉にし、ダンゴをつくって、かろうじて飢えをしのいできた」(本書)

著者のバア様によると、みごもって帰る工女が厳しい峠越えの最中にササやぶにうずくまり流産する者も少なくなく、だれとはなく「野産み峠」というようになった、と。

明治の初めから大正にかけて、当時の主力輸出産業であった生糸工業で発展していた諏訪岡谷へ、飛騨の10代の少女たちが女工として働くためにこの峠を越えた。

 戦前の日本における製糸労働者最大の争議もあった。昭和2年、信州岡谷の紡績会社山一林組の1,300名の紡績女工が決起、壮絶な闘いが始あった。製糸業経営者達は結束して、女工の両親、地域の消防団、青年団、在郷軍人分会、周辺住民などに働きかけ、争議団を孤立させた。当時、平野小学校が児童600人に作文を書かせ秘かに調査したところ、会社側支持30%、組合支持10%であったという。「いつの時代でも、秩序を乱す者は協調性が無いと言われ理解されない、しかし平均年齢17歳の女工達の悲痛な叫びが、真実、聞こえなかったのであろうか?」(本書)

 巻末に諏訪地方で歌われた「糸ひき唄」の歌詞が多数収録されている。長時間の単調な繰糸作業の倦怠を紛らわすために工女たちによって歌われたもの。

・糸は切れ役ワシャつなぎ役 回る検番怒り役

・キカイ工女を女にもてば 切れる切れるで気がもめる

・寄宿流れて工場は焼けて 門番コレラで死ねばよい

・野麦峠はダテには越さぬ 一つは身のため親のため

 幼い女工たちの唄は、せつない。もう1冊。“女工哀史”ではないが、機織り唄。

辺見じゅん『呪われたシルクロード』(1975)は「野麦峠が、緋色の腰巻きをひらひらさせながら通った、糸繰り女たちの哀歓の道であったなら、〈絹の道〉は、男たちの欲望の道であった」と書く。

絹の主産地八王子、鑓水と横浜港を結ぶ細い一本の道〈神奈川往還〉またの名を〈絹街道〉〈絹の道〉と呼ばれた道にまつわるノンフィクションである。巨額の富を一夜にして築きあげた鑓水商人の盛衰をタテ糸に、底辺で支えた機織り女たちの哀歓をヨコ糸に、さらには1973年に起こった助教授の教え子殺人事件まで、――日本の「シルク・ロード」は人間の欲望ゆえに呪われていたとして、その謎解きをする。

採集された機織り唄は、八王子近辺、「毎日、朝は暗いうちから夜さるは12時まで織ったもんよ。あん頃にゃ、機織り出来んと嫁の資格はないといわれただんめえ」。

・糸は千本 きれてもつなぐ ぬしときれては つなげない

・機は下手でも 旦那はほめる しりの軽さで ほめられる

・したきゃさせます 千百晩も マラの背骨の おれるまで

・機織りバッタが 人間ならば 蝶々とんぼも 鳥のうち

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