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2010.01.18

ノンフィクション100選★小蓮の恋人|井田真木子

Nonfiction100

1992

それは北京に来て三日目だった。満智子は予定した日本への帰国便で帰ると言った。

もう帰りますか?〔…〕

「ここにくる前、私は言葉をしゃべれることが、なによりとても大切なことだと思っていたね。日本にいるときは日本語。中国に来たときは中国語」

それ以外の何が必要だと悟ったのですか?〔…〕

私、ずっと言葉は武器だと思っていた。小学校のとき、言葉は言い返すためにあったんだよ。苛められたとき怒鳴り返すためにだけあったんだよ。〔…〕

でも、彼のおとうさんがしゃべったとき、彼のおかあさんがしゃべったとき、言葉は誰かをやっつけるものじゃないとわかったよ。直感みたいなものでしたよ。

自分には、とても足りないものがあると、それは、きっと文化で教養で、胸がドキドキするほど、それは私に足りないものだとわかりました。

言葉は武器ではなくて、言葉は文化で教養です。

それがわかったからね。私は帰ろうと思うんだよ」

★小蓮(シャオリェン)の恋人――新日本人としての残留孤児二世|井田真木子|文藝春秋|ISBN9784163466200199207

井田真木子『小蓮(シャオリェン)の恋人』(1992)は、成長物語(ビルドゥングスロマン)である。

中国吉林省拉法の貧しい農村に住む王立春さん一家は、妻が日本人残留孤児・上村重子であると判明し、1981年、5人の子どもたちと日本へ移住する。「戦時中、中国人を大量に虐殺した鬼畜のような日本人が住む国は、同時に、夢のような金持ちの国なのである」。そしてその国の住人になることは「成功を意味するのだ」。

それから10年、成人した兄弟が営むホカホカ弁当屋に集まる家族は、2世の伴侶の親族を含め約40人にふくれあがる。それにしても中国人の血縁、地縁とか“閥”の濃密な人間関係に驚かされる。

5人の兄弟には、2つの課題がある。

「恋愛は一番の問題ですよ。この国で誰を好きになるか。それは大きな大きな問題ですね。だって、そうでしょう。好きな人のいる国は、誰でも好きになる」。しかし「僕らには恋愛する相手がみつからない」。

もう1つは帰郷問題である。「まさに逃れるようにして来日した。故郷を“捨てた”という思いは、以来、彼らから消えない。それが彼らの中に畏怖を生むのである。自分ははたして10年前に捨てた故郷を直視できるのだろうか」。

こうして11歳で来日した小蓮(シャオリェン)という愛称をもつ成蓮(チャンリェン)、日本名・上村満智子は、故郷へ著者とともに向かう。小蓮21歳の成長物語(ビルドゥングスロマン)である。

 また“がんばりすぎない”等身大の家族の物語でもある。ノンフィクション作家としての著者の立ち位置がいい。本書は1993年に講談社ノンフィクション賞を受賞。井田真木子は、『プロレス少女伝説』1990『十四歳』1998)などを残し、40代の若さで死去した。

それから15年後に同じく講談社ノンフィクション賞を受賞したのに城戸久枝『あの戦争から遠く離れて――私につながる歴史をたどる旅』2007)がある。こちらは“がんばりすぎる”物語。残留孤児であった父・城戸幹の1945年中国・牡丹江での中国名・孫玉福の生い立ちから、日本生まれの二世である著者の2006年吉林省長春市での留学体験までを描いた力作である。2009NHKで『遥かなる絆』のタイトルでドラマ化された。以下同書から引用する。

――留学中、私は二種類の大きく異なった中国人の感情に巻き込まれた。

血のつながらない親戚である私を思い、私の気持ちを優しく解きほぐしてくれるシュンカやレイコン、そして叔母さんたちの濃密な家族愛。一方、クラスメイトの私を槍玉にあげ、日本への「憎しみ」をぶつけてきた英語クラスの受講生たちの無神経な攻撃性。〔…〕

「日本人(リーベンレン)」という言葉を聞くとまるで条件反射のように攻撃的になる中国人たちの頭のなかには、常に前提として「侵略者」「憎むべき対象」「歴史を知らない」という抽象的な顔のない「日本人」像があるようだった。

彼らの怒りは決して個人に向けられているわけではなく、いわば彼らの頭のなかの想像の「日本人」と、そんな「日本人」をつくつた日本という国に対して向けられているのだ。

彼らは自分の出会った目の前の日本人がその想像の「日本人」と同じなのかどうかを執拗に確かめようとする。まるでそうすることが中国人としての正しい態度なのだとでも言うように。

ところが、そんな彼らでも、いったんその「日本人」と個人としてリアルな人間同士の付き合いがはじまると、こんどは抽象的な「日本人」としてではなく、具体的な一人の人間として深い情愛で接してくるようになるのではないだろうか(ただしそれで彼らの日本という国への基本的な認識が変わるかどうかは別の話だ)。

私たち日本人はその二種類の感情のギャップに戸惑い立ちすくむことになる。

(城戸久枝『あの戦争から遠く離れて――私につながる歴史をたどる旅』200709月)

なお、本書に描かれた実父・城戸幹の著書に『「孫玉福」39年目の真実』(2009)がある。

 

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コメント

勝手ながら「川越だより」にリンクを張らせていただきました。僕は上村さんのお友達です。昨年、上村さんたちと群馬県嬬恋で城戸久枝さんのお話を聞きました。

 その時のことも書いてみました。暇なときに覗いていただければ幸いです。

http://blog.goo.ne.jp/keisukelap/e/48329b7f41065f4c81139cafd75fdac1

投稿: けいすけ | 2011.03.07 19:05

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