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2010.01.12

司馬遼太郎●坂の上の雲(四)

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東京の大本営も、あせりにあせった。

「乃木[希典]ではむりだった」

という評価が、すでに出ていた。

参謀長の伊地知幸介の無能についても、乃木以上にその評価が決定的になりつつあったが、しかしそういう人事をおこなったのは東京の最高指導部である以上、いまさらどうすることもできない。〔…〕

「あの作戦では、士卒を大量に投じては旅順のうめ草につかっているだけで、旅順そのものはびくともしていない。いったいなにをしているのか」

という批評も、大本営では出ていた。

驚嘆すべきことは、乃木軍の最高幹部の無能よりも、命令のまま黙々と埋め草になって死んでゆくこの明治という時代の無名日本人たちの温順さであった。〔…〕

かれらは、一つおぼえのようにくりかえされる同一目標への攻撃命令に黙々としたがい、巨大殺人機械の前で団体ごと、束になって殺された。

――「旅順」

●坂の上の雲(四)|司馬遼太郎|文藝春秋|1978|文庫|評価=○

<キャッチコピー>

明治372月、日露は戦端を開いた。豊富な兵力を持つ大国に挑んだ、戦費もろくに調達できぬ小国…。少将秋山好古の属する第2軍は遼東半島に上陸した直後から、苦戦の連続であった。また連合艦隊の参謀・少佐真之も旅順港に潜む敵艦隊に苦慮を重ねる。緒戦から予断を許さない状況が現出した。

<memo>

延々と乃木、伊地知の無能な戦いが綴られる。「旅順における要塞との死闘は、なおもつづいている。〔…〕作戦当初からの死傷すでに2万数千人という驚異的な数字にのぼっている。もはや戦争というものではなかった。災害といっていいであろう。〔…〕無能者が権力の座についていることの災害が、古来これほど大きかったことはないであろう」(「旅順総攻撃」)

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