森まゆみ●女三人のシベリア鉄道
ベルリン発パリ行きの列車はどこかの駅で長く停まったり、ものすごい速さで走ったりとなんだか気まぐれだった。シベリア鉄道およそ九千キロ、モスクワからパリまで乗りついでさらに三千キロ。ミンスクではロシア人大学院生アリョーナと別れ、ワルシャワで息子と合流した。ついにパリの北駅に終着。〔…〕 与謝野晶子は1912年、明治天皇が亡くなったのをパリで聞いて号泣した。帰国後、小説「明るみへ」を書き、パリの女性の優美で力強いさまを見て、女性の地位向上に論陣を張る。 1929年、ニューヨーク株式市場の大暴落をきっかけとする大恐慌をパリで知った百合子はモスクワに戻り翌年、帰りもシベリア鉄道で帰国して、プロレタリア作家同盟に加盟、共産党にひそかに入党した。 1931年、シベリア鉄道でリグイエトを通り、「ロシヤは驚木桃の木さんしよの木だ。レーニンをケイベツしましたよ」と夫に手紙を送った芙美子は、榛名丸で海路帰国し、おびただしい紀行文を書いた。〔…〕 わたしはホテルにあずけた重いトランクを持ち、空港行きのバスに乗った。帰りは飛行機である。パリはまた来ることもあるだろう。 しかしシベリア鉄道九千キロにまた乗ることはあるだろうか、と思うと、車中で会ったさまざまな人々、寒かったホーム、売っていたピロシキ、保線係のおばさん、イクラと黒パン、どこまでもつづくバイカル湖、シベリア抑留者の墓、隅にしゅんしゅんたぎっていたサモワール、ダーチャのジャガイモ、次々に思い出して、胸が刺されるようである。 |
●女三人のシベリア鉄道|森まゆみ|集英社|ISBN:9784087712889|2009年04月|評=○
<キャッチコピー>
パリ留学中の鉄幹をおった与謝野晶子、社会主義革命を成功させたモスクワを目指した中條(宮本)百合子、パリにいる恋人を追いかけた林芙美子。時代の寵児となった女性たちを「シベリア鉄道」という切り口から描き出した意欲作。
<memo>
ウラジオストクからモスクワ、パリまでの自身の鉄道の旅の模様に、一人でも大冊になる作家三人分の“評伝”をはさみこんだ力作だが、これはムリムリ。三人の“旅模様”だけにかぎればよかった。
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