多田富雄●ダウンタウンに時は流れて
ロッキー山脈が西の空にはるかに連なる、標高1600メートルの高地にあるコロラド州デンバーは、私が青春時代を過ごしたアメリカ中西部の町である。〔…〕 折しも流行っていた「ダウンタウン」という歌のリフレインを、今宵ばかりの殷賑を誇るナイトクラブの楽団がけだるく繰り返す声が、妙に懐かしげに町に響いた。それを思うと、私の胸は今でも張り裂けんばかりにその昔を慕うのだ。〔…〕 かくいう私は、「終わりを待ちながら(waiting for the end)」重い車椅子に括りつけられている灰色の老人なのである。見ているのは回想の不思議な魔術だ。 私はこの『ダウンタウンに時は流れて』という自伝的エッセイ集の中で、私の「青春の黄金の時」を思い出した。それも、涙でキーボードが何度も見えなくなるまで、切実に思い出した。 すると回想の魔術が、あのダウンタウンを目前に現出させたのである。 ぼろ車で、毎日通った夕暮れの町。得体の知れない幻を追いかけてうろつきまわった、あの情熱は一体何だったのであろうか。しかし今になってそれが、若さのゆえに奇跡的に現出した「私の黄金の時」であったことに改めて気づくのである。 |
●ダウンタウンに時は流れて|多田富雄|集英社|ISBN:9784087814316|2009年11月|評=◎おすすめ
<キャッチコピー>
若き著者のアメリカ、ダウンタウンで出会った魅力的な人々とのエピソードを中心に自伝的エッセイが小説風に綴られる。
<memo>
脳梗塞で倒れ、半身不随、言葉を発することができない著者。セピア色の1960年代コロラド州デンバーの下町のなつかしいひとびとが鮮やかによみがえる。長編エッセイの名品。
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