司馬遼太郎●坂の上の雲(一)
ふと思いついて、 「ベースボールを知っとるかねや」 と、きいた。〔…〕 人間は、友人がなくても十分生きてゆけるかもしれない。しかし[正岡]子規という人間はせつないくらいにその派ではなかった。〔…〕 子規は提案ずきであった。 ついでながらこの子規の癖(もはや思想とまでいいきってもよさそうだが) は、かれがそのみじかい生涯の仕事としてえらんだ日本の短詩型(俳句・短歌) の復興ということとじかにつながっている。 子規は小説という、この独りだけの仕事をわずかに試みたもののやがてやめてしまい、水が流れるような自然さで右の世界に入ったのは、才能よりも多分に性格的なものであった。 俳句の運座を想像すればわかるであろう。宗匠役の者がその運座のお膳だてをし 、題を出し、ふんいきをもりあげ、やがて選をし、たがいに論評をしあって歓談する。 そういう同気相集うたサロンのなかからできあがってゆく文芸であり、この形式ほど子規の性格や才質にぴったり適ったものはない。 |
●坂の上の雲(一)|司馬遼太郎|文藝春秋|1978|文庫|評価=○
<キャッチコピー>
明治維新をとげ、近代国家の仲間入りをした日本は、息せき切って先進国に追いつこうとしていた。この時期を生きた四国松山出身の三人の男達――日露戦争においてコサック騎兵を破った秋山好古、日本海海戦の参謀秋山真之兄弟と文学の世界に巨大な足跡を遺した正岡子規を中心に、昂揚の時代・明治の群像を描く。
<memo>
NHKドラマ化を機会に再読。32年ぶり。『坂の上の雲』の産経新聞連載開始は42年前の1968年である。全6巻(1969~1972年)、私が読んだのは1978年で文春文庫版。「まことに小さな国が、開花期をむかえようとしている」という最初の1行、子規と秋山兄弟の物語、乃木希典の目を覆う無能ぶり、この3点しか憶えていない。それにしても今なぜ「坂の上の雲」のドラマ化なのか。
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