佐藤正午●正午派
Xで始まる英単語は少ない。辞書でも一頁に収まるくらいだし、三つ憶えてれば事は足りる。Ⅹ-rays (レントゲン) と、Ⅹerox (ゼロックス) と、そしてもう一つはⅩmasだ。 ちなみにクリスマの語源は「キリストのミサ」ということだが、それをⅩmasと表記するのは、Ⅹがギリシア語でキリストの頭文字だからである。〔…〕 「なんでこんなことをいつまでも憶えているんだろう」 クリスマシーズンの夜。看板間際の時刻で、カウンター席に残っている客は彼一人だった。話相手をつとめていた女性のバーテンダーが訊ねた。〔…〕 「記憶力がいいんですね」 「年をとるね、どうでもいい記憶だけ残っている。誰かと過ごしたクリスマスの思い出なんか、もうぜんぜん憶えてない」 「じゃあ、今夜のことも?」 「うん。きっと来年になったら忘れてると思う」 ラストオーダーの時刻になった。BGMのクリスマスソングをぼんやり聞いていると、バーテンダーが脚付きのグラスを差し出た。 「今夜を記憶に残すために」 それはほのかに白濁したカクテルだった。まるでクリスマに降る雪を溶かし込んだように。 「Ⅹで始まる言葉がもう一つあります」と彼女は言った。「このカクテルの名前です」 ――「X・Y・Z」(『カクテル物語』) |
●正午派|佐藤正午|小学館|ISBN:9784093862448|2009年11月|評価=○
<キャッチコピー>
未収録短編小説・エッセイを中心に収めるほか、作家人生を振り返るロングインタビュー、幻の原作映画脚本、年譜など究極の「佐藤正午読本。
<memo>
作家デビュー25周年に合わせ刊行されたファン向けの1冊。上掲は某広報誌に載った「カクテル物語」の1篇。連載時はカクテルの写真とレシピがついていたそうだ。
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