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2010.02.01

ノンフィクション100選★星をつくった男――阿久悠と、その時代|重松清

Nonfiction100

2009

 だからこそ、北沢[夏音]さんは言う。

「自分の中で釈然としない気持ちや、悩みや苦しみがあって、でもそれを外に出すすべが見つからないとき、歌というのは優しい存在だと思うんです。

特に歌謡曲は、自分で『これを聴くんだ』と選ばなくてもいいんです。生活の中でふっと触れたときに心が軽くなる、というのが歌謡曲だと思うんです」

自分でレコードやC D を買わなくてもいい。意識的に聴こうとする必要もない。街を歩くとふと耳に入ってくる歌が、思いがけず胸の奥深くにまで染みることは、おそらく、ある世代以上の人なら誰でも経験があるだろう。

そして、繰り返し伝えてきたとおり、1980年代以降の阿久悠が最も不満に思っていたのは、まさにいまの一文に「ある世代以上の人なら」という留保を付けざるをえない現実――やせがまんの親父の説教を、たまたま立ち聞きして「なるほど、意外といいこと言ってるな」とうなずく機会が奪われてしまった状況だったのだ。

★星をつくった男――阿久悠と、その時代|重松清|講談社|ISBN9784062157834200909

子どもから老人まで口ずさむ歌がなくなったのはなぜだろうとつねづね疑問に思っている。たとえば、紅白歌合戦。その年にヒットした曲がうたわれるはずだったが、歌手はかつてのヒット曲をうたうようになった(森進一は「おふくろさん」を紅白で7回うたっているそうだ)。

重松清『星をつくった男』(2009)は、サブタイトルに「阿久悠と、その時代」とあるように、歌をめぐる“時代”を追い、“時代”と格闘した男のノンフィクションである。

阿久悠は、生涯に5000曲の歌詞を書いたという。1967年の最初の歌から1996年までの30年間だから、2日に1作である。歌手別に1曲ずつあげてみる。

森山加代子「白い蝶のサンバ」曲:井上かつお70年/尾崎紀世彦「また逢う日まで」曲:筒美京平71年/和田アキ子「あの鐘を鳴らすのはあなた」曲:森田公一72年/森昌子「せんせい」曲:遠藤実72年/山本リンダ「どうにもとまらない」曲: 都倉俊一72年/ペドロ&カプリシャス「ジョニーへの伝言」曲:都倉俊一73年/ささきいさお「宇宙戦艦ヤマト」曲:宮川泰74年/ピンク・レディー「ペッパー警部」曲:都倉俊一75年/沢田研二「時の過ぎゆくままに」曲:大野克夫75年/森田公一とトップギャラン「青春時代」曲:森田公一75年/石川さゆり「津軽海峡・冬景色」曲:三木たかし75年/都はるみ「北の宿から」曲:小林亜星75年/ 八代亜紀「舟歌」曲:浜圭介79

これすべて、1970年代である。1976年、1977年は、それぞれ9()の歌手が紅白歌合戦で阿久悠の歌をうたった。

かつて「70年代なら、レコードが100万枚売れたとすれば、2千万人ぐらいがその歌のことを知っていたし、歌えたはずです」(筒美京平)

著者はいう。「1970年代とは、個人の情熱や才能が組織のシミュレーションを打ち砕くことがある、という神話を信じられた最後の時代だったかもしれない」

1980年代に入って、音楽の聴き方が変わった、と著者はいう。

ウォークマンがヒットし、ヘッドホンで音楽を聴くことがあたりまえになった。「自分は自分の好きな音楽を聞く」というスタイル。音楽のパッケージングも変わる。CDは、何分何十秒という聴き手の身体感覚と無関係になり、何メガバイトという容量の物差しが生まれた。

さらに、歌のつくられ方、送り手の意識も変わってきた。シンガーソングライターによる楽曲が歌謡曲の領域まで進出してきた。自分で詩やメロディをつくる「私的でスケールは小さいんですが、人々がそういうものを望む時代が来た」(筒美京平)。

そして、シングルよりもアルバムが重視される。シングル志向=「いま、なにが新しいのか」という流行り歌の世界ではなく、アルバム志向=「いま、このアーティストはなにを考えているか」というアーティスト個人の世界を知ろう、という嗜好の変化によって、“流行”という場がなくなってきたという。

 歌は、1970年代阿久悠に代表される華麗なる“つくりもの”から、1980年代は等身大の稚拙な歌詞や手づくりの曲が主流になり、時代は内側に閉じていくのだ。

 そして1990年代は、「Jポップ」なる呼称が生まれ、歌手のことを「アーティスト」と呼ぶようになった(プロの作家に楽曲をつくってもらい、自作だと発表するアーティストも多いらしい)。

 阿久悠はその後のヒット曲に、1986年の河島英五「時代おくれ」曲: 森田公一があるが、象徴的なタイトルとともに1996年まで作詞活動を続ける。「近頃になってどうしたら上手に時代に遅れられるだろうかと懸命に考えている」(「時代おくれの新しさ」1998

同時におびただしい文筆活動をつづける。『清らかな厭世――言葉を失くした日本人へ』(2007) では「大人ってのはね 会話の中に 擬音を使わないものなのだ」、「フニャフニャのしゃべりを フニャフニャのまま文章にしても 言文一致とはいわない」など、格言、箴言、警句を綴る。

日経新聞に連載された「私の履歴書」である『生きっぱなしの記』(2004)のなかで、 ――「今はそれを世に出す必要の理解を得られないが、いつかやがて、日本とか日本人とかの役に立つものを、生命あるうちに書き残し、封をしておきたい」。それは『国歌』の作詞だ、と書く。「時差をおいて評価の目に晒して欲しい作品」という「国歌」をぜひ読んでみたい。

なお、作家・重松清のノンフィクションには、北京五輪の街と市民を定点観測した『加油(ジャアヨウ)…!――五輪の街から』(2008)がある。

また、歌謡曲については菊池清麿『日本流行歌変遷史――歌謡曲の誕生からJ・ポップの時代へ』(2008)という労作がある。

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