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2010.03.05

ノンフィクション100選★戦艦武蔵/戦艦武蔵ノート|吉村昭

Nonfiction100

1966

 渡辺[建造主任]は、今後「大和」「武蔵」のような巨大な戦艦は、地球上には出現しないかも知れぬ、と思った。

航空機の著しい進歩から思えば、艦艇と艦艇の砲戦は数少くなり、航空機対艦艇、航空機対航空機の戦いが常識化し、常に主体は航空機に置かれることが充分に考えられる。

しかし自分たちが手がけた第二号艦――「武蔵」は、普通の損傷を受けただけでは、決して沈まない充分な機能をそなえている。

それはすでに船ではなくて、海上に浮べられ島なのだ。

船体工事に、進水に、機密保持に、その他あらゆることに全力を傾けつづけて漸く仕上げた艦だけに、渡辺は第二号艦との別れが堪えられない気がしてならなかった。

★戦艦武蔵|吉村昭|新潮社|1966/戦艦武蔵ノート|吉村昭|図書出版社|1970

 吉村昭『戦艦武蔵』(1966)は、なによりもまず著者自身にとって一大転機となった画期的な作品である。四度芥川賞候補となるが受賞せず、妻の津村節子が同賞を受賞する。津村節子『ふたり旅』によれば、「これからはおまえのヒモになる」、「コッペパン1箇あったら一生小説を書いていくと言っていたかれ、おれは小説を書くために生きていると言っていたかれを、このまま兄の会社の専務として終らせるわけにはいかなかった」。そんなとき文学仲間で病気療養中の泉三太郎から「武蔵」の話が持ち込まれる。この頃のことは、自らも書き、津村節子も書き、森史朗『作家と戦争――城山三郎と吉村昭』という評伝にも詳しい。ここでは、川西政明の評伝『吉村昭』から……。

――吉村昭には戦争の記録をもとに小説を書く意思はなかった。それはそれまでの吉村昭の作品とまったく異なった範疇の仕事だったからだ。

《事実の中には、小説は無い。事実を作者の頭が濾過し抽象してこそ、そこに小説が生れる。》〔…〕これが小説を書きはじめてからの吉村昭の信念である。

「武蔵」を書くことは、この信念に反する行為であった。しかし泉三太郎は脊髄が結核菌に侵されて腐蝕骨折し膿が出る病気にかかり、入院して手術をする身だった。泉三太郎には「武蔵」を書く体力も気力もなく、吉村昭に代わって書いてほしいと懇願した。〔…〕

真珠湾の奇襲攻撃の成功と、マレー沖海戦の圧勝で、武器の価値が戦艦から航空機へと変化した。「武蔵」と「大和」は建造途中ですでに武器としての価値をなくしていた。

この話を聞いた吉村昭は「武蔵」が人間に思えてきた。これから自分が書こうとしている「武蔵」が「人格化された戦争の象徴物」に見え出した。腹をくくった。取材が開始された。

友人に「武蔵」を書くといったら宮本武蔵と間違えられ反対されたり、取材先で「吉村昭」の名刺を出すと「ペンネームは?」と訊かれたりしながら書いた「戦艦武蔵取材日記」という“随想風の作品”が編集者の目に留まり小説「戦艦武蔵」を書いてみないかと誘われる。

 「戦艦武蔵取材日記」は、80枚ほどで中断し、小説「戦艦武蔵」が書かれたのちに、小説の反響を含め『戦艦武蔵ノート』(1970)として刊行される。『戦艦武蔵』はやや小説風の文体で書かれ、『戦艦武蔵ノート』は私生活を含めた取材日記だが、二作あわせて一つのノンフィクションとして読まれるべき作品である。

本書の舞台となる三菱長崎造船所を1966年に初めて取材で訪れて以来、「家内は冗談に、私が蒸発したら、夜、長崎の思案橋付近を探したら必ず見つかる、と言っている」とエッセイに書くほど長崎を「心温まる地」としている(『七十五度目の長崎行き』「現地を歩き、人と会い」取材をかさねたと編集者・森史朗は書く(『作家と戦争』)。「小説というものは頭で書くものではない。手で書くのだ」と息子に語ったという。

 吉村昭作品は、『戦艦武蔵』(1966)“戦史小説”と呼ばれ、また“記録文学の力作、『大本営が震えた日』(1968)緊迫の“ドキュメント”『陸奥爆沈』(1970)丹念な取材による“ドキュメンタリー”の傑作、『海の史劇』(1972)空前の“記録文学”、『海軍乙事件』(1976)極上の“記録文学”、『漂流』(1976)は長編“ドキュメンタリー小説”などと宣伝され、ノンフィクションとは呼ばれていない。

 しかし本田靖春は、戦艦武蔵ノート』文庫版解説で、「吉村氏の一連の作品を、ノンフィクションの範としてきた」「ノンフィクションの時代というとき、それは吉村氏によって拓かれた」と書いている。

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