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2010.03.18

ノンフィクション100選★忘れられた日本人|宮本常一

Nonfiction100

1960

話してええかのう。

あんたほんとに女にほれたことがありなさるか。まえをなめたことがありなさるか。

わしゃァ、この話はいままでだれにもしたことはないんじゃ。

死ぬるまで話すまいと思うておった。あの人にすまんで……。

人に話されんような話がわしにもあるかって? あるくらいな。しかしの、わしが死んでしもうたらだれも知らずじまいじゃ、八十すぎの盲人が話したからって、もう罪になる人もあるまい。

わしは庄屋のおかた(奥さん)に手をつけてのう。

――「土佐源氏」

★忘れられた日本人|宮本常一|未来社|1960

民俗学者・宮本常一にはおびただしい著作があるが、もっとも広く読まれているのが『忘れられた日本人』(1960)である。日本全国を歩き各地の民間伝承を調査した著者が、辺境の地で生きてきた古老たち自身の語るライフヒストリーをまとめたもの。

なかでも「土佐源氏」の一篇が有名。というより「土佐源氏」が収録されていることで本書が読み継がれているといってもいい。土佐の山奥の檮原(ゆすはら)という村に住む「人をだますこと、おなご()をかまうことですぎてしまうた」盲目の元博労の一人語りである。わたしは最初読んだとき「無法松の一生」を想起し、また、しんみりとさせるポルノがあることを知った。

岩波文庫版解説で網野善彦は「無限の宝庫を秘めた最良の民俗資料」といい、「本書のすべてを文学作品とうけとることもできる」と書いている。また、宮本常一の自伝『民俗学の旅』(1978)の文庫版解説で神崎宣武は「民俗学の分野だけでなく文学史上でも名作とされる」としている。同書で宮本自身は「私の話は創作ではないかと疑って檮原町へたずねていった人があった」と書いている。

後日談がある。「この話の舞台となった梼原には“土佐源氏”の近親者がまだ健在だという。私は宮本の訪問から55年後の夏、土佐の山奥をたずねることにした」というのは、佐野眞一『旅する巨人――宮本常一と渋沢敬三』(1996)の一節。佐野は“土佐源氏”こと山本槌造の実の娘と孫に会う。「ジイさんの話芸はそりゃ舌を巻くほどうまかった。東京から話を聞きにきたお客さんをだますくらいは序の口だった」(同書)。フィクションなのかノンフィクションなのか。「長い民俗調査で培った宮本の目をもってすれば、“土佐源氏”の語るウソは簡単に見抜けたはずである」と佐野は書く。「なぜ宮本はあえて錯誤を犯したのか」。ここではその理由を引用しないが“世間師”である宮本自身が「ひとりの“土佐源氏”だった」と、ある推理に行き着くのである。

宮本常一『庶民の発見』(1961)では、つい昨日の貧しい日本、『宮本常一、アフリカとアジアを歩く』(2001)では、旅を住処とする晩年の宮本を、知ることができる。

佐野眞一には民俗学の宮本常一、渋沢敬三を扱ったノンフィクションに、『渋沢家三代』(1998.)『宮本常一が見た日本』(2001)『宮本常一のまなざし』(2003)『宮本常一の写真に読む失われた昭和』(2004)がある。

なお、土佐・檮原は、坂本竜馬脱藩の道として有名。司馬遼太郎『街道をゆく27(1986)に「檮原街道(脱藩のみち)」所収。

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