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2010.03.19

内田樹●日本辺境論

20100319uchidanihon

日本人が国際社会で侮られているというのがほんとうだとしたら(政治家やメディアはそう言います)、その理由は軍事力に乏しいことでも、金がないことでも、英語ができないことでもありません。

そうではなくて、自分がどうしてこのようなものになり、これからどうしたいのかを「自分の言葉」で言うことができないからです。

国民ひとりひとりが、国家について国民について、持ち重りのする、厚みや奥行きのある「自分の意見」を持っていないからです。

持つことができないのは、私たちが日頃口にしている意見のほとんどが誰かからの「借り物」だからです。自分で身銭を切って作り上げた意見ではないからです。〔…〕

私たちはつねに他に規範を求めなければ、おのれの立つべき位置を決めることができない。

自分が何を欲望しているのかを、他者の欲望を模倣することでしか知ることができない。

――II 辺境人の「学び」は効率がいい

●日本辺境論|内田樹|新潮社|ISBN9784106103360200911月|新書|評=△

<キャッチコピー>

日本人とは辺境人である─「日本人とは何ものか」という大きな問いに、著者は正面から答える。常にどこかに「世界の中心」を必要とする辺境の民、それが日本人なのだ、と。

<memo>

新潮新書は「バカの壁」以来、聞き書きがお家芸なのかもしれないが、本書も多忙な著者の例にもれず口述筆記のたぐい。それにしても「まえがき」に、「最初にお断りしておきますけど、本書のコンテンツはあまり(というかほとんど)新味がありません」、「最初の論件に入る前に、さらに二三お断りしておかなければいけないことが」、「もう一つ予想されるご批判は」云々。本文に入っても、「もう一度申し上げますが、この本には、ほとんど創見といえるものは含まれていません」、「何度も申し上げますけれど、この本にはみなさんが期待しているような『新しい情報』はありません」云々。前置き、言い訳の連発である。内田樹の本は20冊近く読んでいる。意外な視点に目からウロコ状態になることがしばしば。しかしブログをもとに本にするにしても、口述にしても、編集作業がいい加減なものがあまりにも多い。著者も編集者もゆるゆる状態である。

内田樹◆昭和のエートス

内田樹◆街場の教育論

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