ノンフィクション100選★妻たちの二・二六事件|澤地 久枝
英雄の妻、志士の妻、そんな誇りがどれだけの生きる糧になるだろう。 しかし、「死ぬる迄恋女房に惚れ侯」と書いて自らは銃殺された男を、女は忘れることが出来るだろうか。 愛されるとは、辛いことである。二・二六事件の妻たちが、長い歳月、夫の思い出を捨てきれず、事件の影をひいて生きてきたひとつの理由は、死に直面した男の切々とした愛の呼びかけが心にからみついているためである。 短い蜜月と死にのぞんでの愛情の吐露、それは妻たちにとっては見えない呪縛となった。 男たちは死に直面して、妻への愛着を強くした。男たちが心を打明け、安らぎ、そして占有することの可能な存在は妻だけになった。 そのためであろうか、死んでゆく男たちは一人も「再婚して忘れてくれ」とは言わなかった。 ★妻たちの二・二六事件|澤地 久枝|中央公論社|ASIN: B000J95VX8|1972 |
2.26事件とは、1936年(昭和11)2月26日早暁、雪の中、陸軍皇道派青年将校が起こしたクーデター未遂事件である。「昭和維新断行・尊皇討奸」を掲げ、約1500人の在京部隊が、首相・蔵相官邸をはじめ、政府首脳や重臣の官・私邸などを襲撃した。
澤地 久枝『妻たちの二・二六事件』(1972)は、死刑に処せられた青年将校らの若き妻たちのその後の35年をたどったノンフィクションである。
上掲の「死ぬる迄恋女房に惚れ侯」と書いて自らは銃殺された男とは、陸軍歩兵中尉の丹生誠忠(にうよしただ)、27歳である。妻・寸美奈子は22歳。「新婚の夢幻シノ如シト雖モ人生ノ幸亦之ニ過グルモノアランヤ 甘シ甘シ焼ク勿レ当方ハ仏ナリ」。遺書の一部でおどけている。結婚式からわずか10ヵ月後の事件である。子どももいない。
その35年後、著者は年老いた母堂と二人暮らしの夫人を訪れる。「飾り棚の丈高い花嫁人形は、寸美奈子夫人の手づくりであるという。〔…〕。三十年余の昏い人生が花嫁人形の内にひっそりと息づいているようであった」と書き、母堂の歌を掲げる。「娘の作りし花嫁人形暗き陰翳裾に曳きつつ眸ひらき居り」。
著者は「あとがき」に記す。「語り部になろうなどと、大それた望みをもったけれど、とても私の任ではない、そっとしておくべきかも知れないと、幾度かためらい、断念しかかったこともあった。
そういう私を未亡人たちへ近づかせたのは、かつて編集者として様々な人に会った経験と、四十代にかかろうという私の年齢であったように思う。そして、このテーマを書こうとした動機と密接なつながりをもつことなのだが、沈黙し耐えている人間の内側にある感情――、嘆き、痛み、憤りを、他人事ではなく感じるような人生遍歴が私にもあること。それが、とぎれがちな妻たちの言葉をつなげてゆく作業を助け、補ってくれた」。澤地の人生遍歴についてはここでは触れない。
澤地久枝は、中央公論社を退職し、五味川純平が『戦争と人間』(1968~1982)の執筆のための資料助手をつとめたとき、2.26事件にとりつかれる。初めての著作『妻たちの二・二六事件』(1972)は、初版7,000部、定価580円。ハードカバー最終版は1991年、定価2,000円、累計83,500部。文庫版はいまも生きており、累計30万部をこえる(『家計簿の中の昭和』)。息の長いベストセラーである。
澤地久枝の2.26事件関連著作は、ほかに『暗い暦――二・二六事件以後と武藤章』(1975)、『雪はよごれていた――昭和史の謎二・二六事件最後の秘録』(1988)がある。また『完本・昭和史の女』(2003)には、『昭和史のおんな 正・続』には収録されていない「雪の日のテロルの残映」という襲撃された側の女性を描いた一篇がある。
『家計簿の中の昭和』(2007)は、何十年もの間、著者は毎日の金銭の出入りを記録し続けてきた、その家計簿の中の数字を通して、昭和という時代を描いたエッセイ集。『妻たちの二・二六事件』出版後、フリーの書き手となるが、「当時ひとつのテーマをまとめるための取材費は約百万円」と書いている。個人の所得は、たとえば印税の場合、初版印税の25%か30%を必要経費の上限として、それ以上は経費として認められない。某税務署員の示唆によって、著者は小さな法人(有限会社)をつくる。ちなみに『滄海よ眠れ――ミッドウェー海戦の生と死』(1984~1986)に費やした金額は、5,000万円くらいという(同書)。
海外に取材したすぐれたノンフィクションは、書き手がNHK関係者で、映像から派生した著作が多いのも、取材費の面からうなずける。
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