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2010.04.02

ノンフィクション100選★こんな夜更けにバナナかよ|渡辺一史

2003

この家は、確かに「戦場」だった。

しかし、それは鹿野が病気と闘っているから、というだけではないと私は思う。〔…〕

鹿野は24時間、他人の介助なしには生きていけない。さらにここでは、「IN―OUT表」「睡眠リズム表」などにより、食べたものの量、飲んだものの量、尿の排泄量、睡眠時間に到るまで、すべての欲求を鹿野は管理されている。

プライベートはないに等しいし、ここでは、恋さえも隠せない。鹿野に秘密はほとんど存在しないのである。

にもかかわらず、ここが鹿野の「家」だとしたら、それは結局のところ、「この家の主人は私である」という鹿野の強烈な自己中心性に負っている。

もしそれが崩れたとすれば、「24時間他人に介助されるだけの」「すべての欲求を管理される」「プライバシーゼロの」ただなされるがままの受け身的な存在となってしまうだろう。

★こんな夜更けにバナナかよ――筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち|渡辺一史|北海道新聞社|ISBN9784894532472200303

闘う障害者と介助するボランティアたち。ともに支え合い、エゴをぶつけ合う。著者はその“戦場”を2年半にわたり取材する。普通の若者であるボランティアたちがすこしずつ人生の軌道をずらしていく様を、著者はあくまでも明るい筆致で描く。難病、ボランティア、……暗い、重い、辛い。と遠ざけてきた人に奨める1冊のノンフィクションである。以下はわたしなりに本書を要約してみる。

「施設や病院はイヤだ。街で暮らしたい!」

「普通の生活がしたい。それは当然の権利なのだ!」

札幌在住、鹿野靖明。40歳。進行性筋ジストロフィー、全身の筋力が徐々に衰えてゆく難病。効果的な治療法はまだ解明されていない。小学6年のときに告げられた。

人工呼吸器を着けた重度身体障害者の介護は24時間。支援するのは多数のボランティア。専門家の卵もいれば、福祉と無縁の学生もいる、中年パワーの女性もいれば、茶髪の女子大生もいる。

ある日の深夜、「腹が減ったからバナナ食う」と鹿野がいう。「こんな真夜中にバナナかよ」とボランティア内心ひどく腹を立てる。このワガママぶり、「お世話をかけて」「申し訳ない」という態度が鹿野には感じられない。

自らも筋ジスで、障害者のカウンセラーであるエド・ロングはいう。「自立とは、誰の助けも必要としないということではない。どこに行きたいか、何をしたいかを自分で決めること。自分が決定権をもち、そのために助けてもらうことだ。だから、人に何か頼むことを躊躇しないでほしい。健康な人だって、いろんな人と助け合いながら暮らしている。一番だいじなことは、精神的に自立することなんだ」

それが当然の権利なのだという態度を獲得してゆくことが、鹿野にとつての自立への挑戦であり、日々の闘いでもある。鹿野に限らず、一日24時間、すべての介助を他人にゆだねる人間が、その主体性をどう確保するか、というのは、じつは想像以上に難しい問題なのだと思う。黙っていれば、親に、家族に、介助者に、生きるのに必要なことをすべて先回りでされてしまう。

日本での障害者の自立生活や在宅福祉が立ち遅れているのは、なにも差別や偏見が根強いからではなく、むしろ相手に遠慮ばかりして、なかなか本音を語り合わない国民性、摩擦や対立を「対話」で乗り越えることに慣れていない日本の風土とこそ関係があるのではないかと私は思うようになっている。

「ホントはボランティアなんて、みんな半分以上はイヤイヤやってるんじゃないですか(笑)。ボランティアなんて多分そういうものだと思うんですよ」

「死ぬとどうしても、だんだん美化されて、神格化していくからね。危ないよ。しまいに『あんなイイ人いなかった――』って、みんな言い出したりするからね」

振り返ると私は、同じ問題を、何度も堂々めぐりのように考え、考えあぐね、書きつづけていたようにも思える。それは、突き詰めていうなら、「人が人と生きることの喜びと悲しみ」についてだった。

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