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2010.05.18

ノンフィクション100選★人間臨終図巻|山田風太郎

1986

田山花袋 1871――1930

花袋は昭和312月、脳出血でいちど倒れ、翌年5月、喉頭ガンと診断された。秋になって小康を得たが、翌昭和5512日、重態におちいった。

その前日、代々木山谷の病床を見舞った、花袋より一歳年下の島崎藤村は、まじめな顔で、

「花袋君、この世を辞してゆくとなると、どんな気持がするものかね」

と、尋ねた。

「何しろ、だれも知らない暗いところへゆくんだから、なかなか単純な気持のものじゃない」

と、花袋は怒りもせず、もつれる舌でまじめに答えた。

「苦しいかね」

と訊くと、

「苦しい」

と、答えた。〔…〕

最後に彼は、水も薬も一切受けつけない状態になり、13日午後4時過ぎに死んだ。

★人間臨終図巻(上・下)|山田風太郎|徳間書店|上・198609月/下・198703

山田風太郎『人間臨終図巻』198687)は、上下2巻、函入本として刊行されたとき某書店で見かけたが、仰々しくて敬遠した。今はなき某書店の書架の位置まで覚えている。その後1996年に普及版3巻として出たが、なぜか敬遠。2001年に文庫版をようやく購入した。

 古今東西の著名人920人余りの臨終の模様をまとめたもの。たとえば政治家など職業別に一群に、たとえば西洋人を歴史の年代順になどと並べるのが、普通。ここでは死んだときの年齢順に並べた。画期的である。たとえば32歳で死んだ人々に、キリスト、坂本竜馬、ジプシー・ローズ(ストリッパー)、若松善紀(横須賀線爆破事件の犯人)が並ぶのである。

 関川夏央『戦中派天才老人山田風太郎』(1995)のなかで、「人生の大事は大半必然にくるのに、人生の最大事たる死は大半偶然にくる」と語っている。また「千人近くも人の死を見て思うことは、人間の死には早すぎる死か遅すぎる死しかないということだ。主観的にも客観的にも早すぎず遅すぎず、ぴたりといいところで死んだ、などという幸福な人間はまずいない」とも。

 続篇をとの要望に「あれはやりだすときりがないんだよ。人間は永遠に死んでいくものだから」と答えている。“生物学的断筆中”だと言い、書かれることはなかった。

 当の山田風太郎は、2001年、肺炎で死去。79歳だった。戒名を「風々院風々風々居士」と生前に自ら決め、墓石には「風ノ墓」と刻まれているそうだ。ちなみに『人間臨終図巻』で扱われた79歳で死んだ人々は、藤原定家、本阿弥光悦、ガンジー、谷崎潤一郎、横溝正史らがいる。

山田風太郎のノンフィクションには、『同日同刻』(1979)がある。アイデアの人らしく、最初の日(開戦の昭和16128日)と最後の日々(終戦にいたる昭和208月1日から15日まで)を日米両国の指導者、兵、民衆の記録を膨大な著作から引用し、再現する。

それにしても、『甲賀忍法帖』など忍法帖もの、『警視庁草紙』『幻燈辻馬車』など明治もの、『戦中派不戦日記』などの戦後日記、『あと千回の晩飯』など晩年のエッセイなど多彩。こんなに楽しませてくれた作家は他にいない。今後も何年かごとに風太郎ブームがあるにちがいない。

ところでわたしは、山田風太郎といえばビールのつまみを思い浮かべる。うすい牛肉でチーズをつつんで焼いたもの。ニンニクをすりこんだ醤油につけて食う。チーズの肉巻き。もう数十年ほぼ毎日これを肴にオンザロックというのが風太郎氏の晩酌だと知り、私も20年ほど前からビールには、これ。

「作品は歳月の間に淘汰されて、いいものだけが残るというのは真実ではない。淘汰されて悪貨ばかり残るのは、作品だけではなく、読者もまた然りなのである」(「露伴随筆」=『風山房風呂焚き唄――山田風太郎エッセイ集成』(2008)所収)

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