清水真砂子●青春の終わった日――ひとつの自伝
窓から射し込む夕日が電車の中を赤く染めていた。一日の勤務をおえて、電車に乗りこんだ私は進行方向通路左手の席に腰をおろし、山の端に沈もうとする夕日をぼんやりとながめていた。
1968年初夏のことで、私は27歳になったばかり、高校に勤め始めて、5年目に入っていた。
と、ふいに目の前に一本の道が見えた気がした。この道をいくしかない。その瞬間静かな喜びがからだを満たした。終わった! 解放された! 自由になった! 私はこの時、はっきりと青春が終わったことを感じた。
うれしかった。たくさんの選択肢があるように見えたとき、私は不自由だった。あれもしたい。これもしたい。あれをしようか。これをしようか。私は迷い、苦しみ、いら立った。あんなふうにもなりたい。こんなふうにもなりたい。そのくせ、何をしたらよいか、わからないままだった。〔…〕
あの電車の中の夕刻の一瞬が来たのだった。青春の終わりがこれほどの解放をもたらしてくれるとは!
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●青春の終わった日――ひとつの自伝|清水真砂子|洋泉社|ISBN:9784862483003|2008年09月|評=○
<キャッチコピー>
だれにも寄りかからず、ひとりで凛として立つ。それがわたしにとって生きること。『ゲド戦記』の翻訳者にして児童文学批評の第一人者が自らの“子ども時代の森”に分け入り、前半生を綴った感動のこころの軌跡。
<memo>
児童文学者の前半生の記憶。
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