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2010.05.27

丸谷才一●人間的なアルファベット

20100527maruyaningen

ところで、一体なぜ日本の春画ではこれほどの誇張法がなされるか。わたしは今までそれについての考察を読んだことありませんでしたが、白倉=早川の本の解説に、なかなかおもしろい意見がある。〔…〕

普通、人物画でまづ注意を払はれるのは顔である。顔貌は人格を表現する部分できへあって、主としてこれを見て、人は、誰それは立派だとか、美人だとか、まあいろいろ言ふ。

ところが春画では肉体の別の部分がじっくりとみつめられる。つまり性器。それを熟視する。これは当り前。

しかしそれにもかかはらず、人間を代表する部分が顔であって、顔が切実に迫ってくるといふ事情は変らない。大前提として控へてゐる。

そこで必然的に、性器は顔と同じくらゐ(!)大きく描かれて、顔と張合ふ必要が生じる、といふのだつた。〔…〕

わたしはこの説に非常な感銘を受けましてね。つい、右手と左手で自分の顔にさはってみた。つまり、計測したわけですね。そして、これと対抗するだけの大きさなんて、とても無理な話だと、じつに当り前のことを考へたのであった。

●人間的なアルファベット|丸谷才一|講談社|ISBN9784062160995201003月|評=○

<キャッチコピー>

エロスとユーモア溢れる丸谷版“A to Z”。色っぽくって面白い!知的雑学満載の、軽妙洒脱な“よみもの辞書”。

<memo>

上掲の「白倉=早川の本」とは、白倉敬彦=早川聞多編著『春画』(洋泉社)のこと。PHEMISM(婉曲語法)の項に「この本の題の『人間的な』といふのも婉曲語法ですよ」とあるように、本書はおなじみトリビアの宝庫にして、 “品格ある猥談”辞典。

丸谷才一●人形のBWH

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