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2010.07.23

ノンフィクション100選★ガン回廊の朝|柳田邦男

1979

当時の放射線科はいまから見れば博物館ものの戦前の機械を使っていた。しかも患者は、外科からも内科からも見放された手遅れのガン患者ばかりだった。

杉村[]にとって、放射線科勤務は助からない患者を精神的に慰めにいくようなものだった。

ガン末期の悲惨さを見るにつけ、〈これなら宗教家になったほうがましだ〉と、何度か思ったほどだった。

そして思い至ったのが、

〈患者のほんとうの救済を考えるなら、ガンの本質を解明したほうが早道だ〉

という考えだった。杉村が生化学に転じたのは、そうした体験と動機によるものだった。〔…〕

ある日、ジャーナリストに、

「ガン研究は難しいですね、日暮れて道遠しではありませんか」

と尋ねられたとき、杉村は自信に満ちた表情で、きっぱりといった。

「いや、東の空がようやく明るくなってきたところです。研究者にとって、こんなに生き甲斐のある、時代はありません」

★ガン回廊の朝|柳田邦男|講談社|ISBN9784061436466197906

――〈総長の顔色がすぐれない〉

国立がんセンター総長田宮猛雄と毎日顔を合わせるセンターの幹部たちが、ひそかに危惧の念を抱きはじめたのは、六月の半ばを過ぎた頃からだった。〔…〕

「世界最高水準の臨床と研究を」といううたい文句で、東京・築地に設立された国立がんセンター病院が診療を開始してようやく一カ月。開院当初から外来・入院の患者が殺到していた。来客も多い。そのうえ、月末には盛大な開所式を行なうことになっており、その準備も大わらわだった。〔…〕

田宮の胃がガンに冒されていることは、もはや否定しょうのない事実だった。〔…〕

「先生、やはり潰瘍ができています。とくに幽門部は、潰瘍による狭窄で、通過障害が起きていますから、放っておけません。すぐに入院をお願いします」

柳田邦男『ガン回廊の朝』(1979)の冒頭である。1962年にオープンした国立がんセンター(現国立ガン研究センター)を舞台に、がんの臨床医・研究者の活躍を描くノンフィクションである。専門分野を分かりやすく説明し、一気に読ませる。がんをめぐるドラマである。

 1964年、東京オリンピックを目前にして、時の総理・池田勇人が入院する。のちに「前がん状態」という言葉が流行語になる。

――「池田総理はガンではないか」

という憶測が記者たちの間にひたひたと広まり、彼らはその確認をしようと、政界の実力者はもとより、国立がんセンターの主な医師たちの自宅にまで、夜討ちの取材に押しかけていた。〔…〕

「しかし、ガンであると発表することだけはなんとしても避けなければならない」という久留[勝=病院長]の意見に、比企[能達=総長]をはじめ医師たち全員が賛同した。〔…〕

「ガンではないが、放っておけばガンになるおそれがある、そういうポリープがのどにできているということにするのだ。それを前ガン状態という表現で発表する。そうすれば治療を続ける理由として恰好がつくし、ガンであると断定したことにならなくて済む」

専門医から見たら、笑い種になりそうな診断結果の発表と評価されそうだったが、そんなことに構ってはいられなかった。いまは天下を巧みに欺かなければならないのだった。

本書は1962年から1977年まで日進月歩のがん研究と治療法を追う。この間、早期胃がん発見の診断法、画期的な肝ガン切除術の確立、国産CT(コンピューター断層撮影)装置とその利用法の開発などがあった。

わたしは築地の国立がんセンターへ数日通ったことがある。受診でも見舞いでもなく、中国・天津市医師団の研修に付き添いとして行った。最先端のがんの拠点が、こんなにも質素な建物だと驚いた。197811月のことだ。

その後も柳田はがんに関する報告を続け、30年を経過する。

『明日に刻む闘い――ガン回廊からの報告』(1981)は、1975年ごろから1980年までの“最先端”のレーザー医学、骨髄移植、肝外科、膵臓がん診断法、CT開発、抗ガン剤、宣告とケア、ホスピス等を描いたもの。メアメリカにまで取材を広げ、医療に対する国柄の違いを対比している。

また、聖路加看護大学の日野原重明学長のこんな体験談を紹介している。以下要約するが、日野原の以後の軌跡をたどれば、この体験がショックだったことが分かる。

「主人は胃ガンの全身転移で、苦しみに憔悴し切って、とうとう死んでしまいました。私は主人がいよいよ最後の息を引き取るときには、前から約束していたとおり主人の手を握って、私があの世に届けてあげようと。ところが主人が急変したといって、大勢の先生や看護婦さんが、処置をしますから外へ出て行きなさいといって、私を押し出し、三十分後に呼ばれたときには主人は冷たく横たわっておりました。先生、これからガン末期の患者さんには、荒々しい蘇生術などしないで、家族を主人のそばに置いてあげてください。そのことを申し伝えに、私はまいりました

『ガン回廊の炎』1989)は、『ガン回廊の朝』の続編というべきもので、1970年代末から80年代末までを扱う。手術法等治療の新展開、診断装置の開発、ターミナルケアなどがんとの闘いを医師の目だけでなく、看護師、企業の技術者、患者・家族の視点を加える。

「詩集を書くような気持で綴った。それは、あるいは神話的叙事詩を語り継ぐような気持とも、いえるかも知れない」。と、あとがきにあるのは、『ガン50人の勇気』1981)。杉村医師の「死とは、その人の人生が短期間にintegrate (インテグレート、集積)されて出てくるもの」という言を著者はリポートの指標としたとして、「世間でよく『立派な死』といわれてきたのは、往生際の形態を意味する場合が多かった。しかし、ほんとうの意味での『立派な死』とは、死がほとんど不可避となった日々において、その人の全人生、全人格がどのように集約されて発現するか、ということではなかろうか」と書く。

 ところで1978年アメリカで発表されたある論文によれば、1961年には、「原則として告げない」医師と「原則として告げる」医師の比率が、8812だったのに対し、1977年には、それが298に完全に逆転したとある。だが、『ガン50人の勇気』では、ほとんどの患者にがんであることは伝えられない。なお現在、国立がん研究センターでは、100%告知される。

 ところが30年の歳月が流れ、『新・がん50人の勇気』(2009)では、治療法の進展や緩和ケアの普及により、がんの告知率も大きく変わった。本書では、昭和天皇から本田美奈子まで数多くの知名人が取り上げられているが、死をオープンに語るなど日本人の死生観も著しく変わった。とりわけ本書では、米原万里、長尾宣子、森揺子など女性たちの見事な死に方が心を揺さぶる。

 柳田邦男は、『ガン回廊の朝』以来、がんを追い続けたが、“パッション(情熱)”こそ主題であったと書いている。

――パッションという言葉は、第一義的には「情熱」という意味に対応させてよいのだが、もう一つ別の語義として、「受難」という意味で使われることがある。〔…〕ガンという不条理の病いに襲われるのは、現代人の「受難」というべきではないか。臨床医や研究者がガンの治療や研究に「情熱」を燃やすのは、その裏側にガン患者の「受難」に対する限りない同情と愛があるからであろう。その表裏両面を内包するパッションという言葉こそ、ガンとの闘いを前進させるキーワードだと、私は考えている。(『ガン回廊の炎』)

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