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2010.07.16

ノンフィクション100選★立花隆|田中角栄研究 全記録

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「例えば、上越新幹線なんか、計画が決まったときにはもう業者が決まってたんです。しかも工区割りまで決まってたんですよ」

ひどい話である。一口にいえば、土建業界は業界ぐるみ総汚職なのである。その土建業者が田中角栄氏の政治をこう批判するから面白い。

「要するにあの人は政治を土建屋の感覚でやってるんですよ」〔…〕

「田中土建時代の田中さんは、仕事を取るために、酒宴をもうけたり、金をまいたり、女を抱かせたりもした。“女と寝たくない”という者には“じゃ、オレと寝よう”とまでいった」(戦前から終戦直後まで田中氏といっしょに仕事をした人)

汚職の風土の中に長い間ドップリつかり込んでいたのである。だから、政治家となり、政治献金の出し手から取り手に代っても、汚職型政治献金は企業がホイホイ出すのが当然と田中氏が思い込んでいても不思議ではない。

★立花隆|田中角栄研究 全記録(上・下)|講談社|197610

 雑誌が好きで、読みたい記事が3本以上あれば買っていた。田中健五編集長時代の「文藝春秋」は、若手のノンフィクション作家を多く起用しており、毎月買っていた。しかし社内の管理職登用試験が3ヵ月後に近づいたため(当時、妻子を実家に帰したり、仲間内で部屋を借りたりして受験勉強をする例があるほど難関だった)、やむなく197411月号から「文藝春秋」購読をやめた。その号が、立花隆「田中角栄研究-その金脈と人脈」児玉隆也「淋しき越山会の女王」の二本立60ページに及ぶ田中角栄総理特集だった。いまでも憶えているのは、よほどくやしかったからだろう。のちにイーデス・ハンソンとの対談で立花は「神田の古本屋で五千円してるなんて話ですね」と語っている。

 立花隆『田中角栄研究 全記録』(1976)は、それから2年後に刊行された。文藝春秋・週刊文春・現代・週刊現代・週刊朝日・朝日ジャーナル等に書いたものを収録。この前後の田中総理の動きは、リアルタイムでの記憶がある。

 1972(昭和47)6月に「日本列島改造論」を発表、7月に田中内閣発足。9月に中国を訪問、周恩来首相・毛沢東国家主席と会談、日中国交正常化を実現する。

1973年(昭和48年)、地価、物価の急上昇が社会問題化。10月、第四次中東戦争から第一次オイルショックが発生。

1974年(昭和49年)、1月東南アジア訪問。反日デモに遭遇。

同年10月、上述の「文藝春秋」(1010日発売)で金脈問題。

1111日 首相官邸での記者会見。冒頭の発言……。

――公人としての私にかかわるいろいろな問題が文章となり、エー、皆さんの大きな話題となっておることを承知しております。エー、愉快な問題ではございません。ございませんが、報道されておることは、アー、私もまだ全文にわたって細かく、子細に、読んでおりません。あんまり読んでも、アノー、愉快なものではないもんですから……。(場内失笑)

12月、総辞職。首相在職通算日数、886日。

1976年(昭和51年)2月、ロッキード事件発生。7月、同社による全日本空輸に対する売りこみにおける5億円の受託収賄罪と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑により逮捕される。

そして立花は先の「文藝春秋」から110ヵ月後の19769月号に「新・田中角栄研究」を書く。

「田中角栄についての評価は、アッという間に驚くほど変貌した。彼が時代の寵児であったときは、プラスのイメージで満ちあふれていた。

庶民宰相、人情家、抜群の政策マン、時代の先取り感覚、頭の回転の早さ、柔軟性、官僚たちの心服、新時代のヴィジョンを持った政治家……。

ところが、あっという間に、プラス・イメージを全部ひっくりかえしたようなマイナス.イメージの評価がくだされていく。希代の金権悪徳政治家、浪花節感覚、政策的無能、時代の変化がわからない、無知、思いつき政治、頑迷、官僚を使いこなせない、ヴィジョンなし……。

前者とすれば、名宰相であり、後者とすれば、宰相の資格は全くない。

どちらの評価が正しいのかという問いにはただちには答えられない。」

「そしてインフレ失政によって起きた政治破綻を、これまで常に信頼を置き続けてきた金力によって救おうとした。それが史上稀に見る金権選挙となった49年参院選である。これを機に金権政治批判の声が世に満ち、その中で田中内閣は自壊するにいたった。この流れの中に、私の「田中角栄研究」もあった。あのレポートが田中を倒したのではなく、時代が田中を倒したのである。より正確にいえば、一つの時代が倒れるとき、最もよくその時代を体現していた男を道連れに倒したのである。時代の死は、いつでもその死を象徴する男の死を求める。時代はその男によって歴史に記憶される。」

田中内閣を退陣へと追い込んだ二人のノンフィクション、立花隆「田中角栄研究-その金脈と人脈」、児玉隆也「淋しき越山会の女王」は、ともに大宅壮一ノンフィクション賞の候補にも上らず、なぜか文藝春秋社からではなく、前者は講談社、後者は新潮社から出版された。

児玉隆也は1937年生まれ、早稲田大学2部、「女性自身」アルバイト、38歳で死去。立花隆、1940年生まれ、東大、「文藝春秋」社員。“知の巨人”としていまも君臨する。児玉の“情”、立花の“知”と、まったく対照的な二人……。相手について語っていない。

ただ立花は、東宝が、監督今井正で製作をはじめていた児玉隆也の伝記映画『愛はとこしえに』が、突然、製作中止になったとき、「児玉さんがもし生きておられれば、『愛はとこしえに』といった甘ちょろいタイトルの映画の主人公に自分がなることは断じて許さなかったろうが、その映画がこんな形で中止になることは、もっと断固として許さなかったにちがいない」と書いている。(引用はすべて本書から)

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